1) 今日、今年初めて出来たきゅうりをカラスに食べられていた。腹が立った。

 でも、40匹の野良猫の面倒を見ている婦人がいることを思えば、自分が恥ずかしい。

「カラスに今年初めて私の畑で出来たきゅうりを食べてもらった。」と思い直すことにした。

 

 

  2)高級食パンや高級わらび餅に違和感をもつ。どちらも低価格で庶民の味方であって欲しい。

 食パンやわらび餅が高価になれば、私たちの必需品ではなく,

 セレブ御用達の贅沢品になってしまう。

 それはそれで良いのかも知れないが、私には関係のない世界の食べ物になってしまう。

 

 

 3)若いカップルが、一本のアイスキャンデーを楽しそうに分け合って食べている。

 微笑ましい。もし中年の二人連れが同じ事をすれば、「ケチ臭いなあ!」とか、

 「アイスキャンデーなんか、我慢しろ!」と忠告したくなる。

 

 

  4)私は小学生の頃、電車で60歳過ぎの夫婦に席を譲ろうとした。

 その時、その主人が、「わしはまだ席を譲ってもらう程、老いぼれていない!」と怒り出した。

 彼の奥さんは、「ごめんなさいね。」と私に謝ってくれた。

 そして、二人は別の車両に移動した。

 

  5) ある女子高校生から「エモい」という言葉を聞いた。

 女の子が「エロい」と言ったと思い、凍り付いた。この言葉は、英語のemotionからの言葉で、

 「心が揺さぶられて、なんとも言えない気持ちになる」という意味らしい。

 私の若い頃にも、「ナウい」「おニュー」とか「真夏する」という言葉が流行っていた。

 

 

 6)受験生たちは、志望校を偏差値を基にして決められる。

 偏差値という尺度によって、学力を測られて、自分が本当に何をしたいのかを考える前に、

 志望校を決めなければならない。かなりこれに振り回される。

 成人たちの俗世間での偏差値は、金を稼ぐ能力か、稼ぎやすい地位にいるかのどちらかだ。

 

 

  7)妻に頼まれて近くのコンビニに買い物に出かけた。  

 いつも車に乗らない私なので、コンビニの駐車場に車を停めたまま帰ってきた。

 家に帰り、車が無いのに気付き、「車、盗まれたのかな?」と不安になった。

 その時、妻が、「車はどうしたの?」と聞いた。

 そのおかげで、コンビニに車を停めたことを思い出した。

 昔、ばあちゃんがメガネをかかて、「私のメガネ見なかったかい?」と聞いてきた。

 

 

  8) 久し振りに、愛犬と散歩した道を歩いてみた。

 彼と散歩していなければ、写真を始めていなかった。

 「あんた、写真趣味なんか?それもよかろう!」と話しかけてくれるおばさんがなければ、

 写真は続いていなかった。

    

  9)「顔」は小学校で習う漢字で、「顔に泥を塗る」の意味は、

 「恥をかかせること」である。どろんこ美容では、「顔」には泥を塗らないだろうな。

 

 

10)入学試験で出される英語の文章や現国語の文章を、おろそかに見ていないだろうか? 

 これらの文章を書いた人は、入学試験問題のために書いたわけでははない。

 この事実を真摯に受け止めなければならない。

 

 

 11)「物を所有することは、自分に縛られること。」と、ある哲学者が言っていた。

 今日、池の写真を撮る時に、レンズキャップを池に落としてしまった。もう戻らない。

 自分の不注意さに腹が立つ。キャップ無しでも良いか。

 でも、キャップがないとレンズが心配だ。

 物を持つことは、いろんな悩みを生み出して、余計な時間を使うことかもしれない。

 

 

12 )「明滅」という言葉を聞いた。「点滅」は信号に使われ、「明滅」はネオンに使われる。

 灯りが付いたり消えたりすることを表すらしい。

 「点滅」のほうが、「明滅」よりも付いたり 消えたりする間隔が狭いらしい。

 

 

 13 私は娘から「逆コナン」と呼ばれてきた。

  コナンは、身体が少年ではあるが、頭脳は成人を遥かに超えているという設定だ。

  彼女の例えは、賞賛に値する。我が子ながら、あっぱれだ。

  私は子供たちに説教されることはあっても、説教することはなかった。

 

 

 14)中学生の頃、あるスーパーでコーラを一本買い、並んでいる前の一人の婦人に、

 「すみません。コーラ一本なので、先に行かせてもらっていいですか?」と頼んだ。

 その女性は、一瞬、間を置き、頭からつま先まで、私を冷静に見つめ、軽蔑したかのように、

 無表情に答えた。「買い物が少ないから、先に行っていいの?」。

 

 

 15)私はモランデイというイタリア人の画家が好きだ。

  彼は自分の家で、身近にあるものの位置を置き換えるだけで、感動的な絵画を残してくれた。

  モネだって自分の家で、名画を残したと人は言うだろう。

  でも、モネは、自宅にいたが、お金を払って日本庭園など作って創作活動を続けた。

  しかし、モランデイは、お金を掛けずにひとりの世界をはばたかせた。

 

 

16)昼頃、いろんなセールスの電話がかかってくる。

  この頃は、固定電話ではなくて携帯電話からかかってくることが多い。

「固定電話からかかってくる会社としか取引しません!」と私は断っている。

 固定電話は、組織を連想させてくれるが、携帯電話は、私的なものしか連想できない。

 

 

17)  草刈りの後、小さな鳥たちがやって来てくれる。

  私の労を労ってくれる訳ではないのに、何故かうれしい。

 

 

18)コマーシャルで「転職」を勧めているのは、[石の上にも三年」を嘲笑っているのだろうか?

 

 

19)  ホットコーラを知っていますか? 

 コーラを温めてレモンを浮かべるだけの飲み物ですが、いっとき、かなり流行りました。

 これに便乗して、和風トーストや豆腐寿司も出て来ました。

 前者は、トーストの上にバターを塗り、その上に一枚の黒い海藻を載せていました。

 後者は、握り寿司として、シャリの上に小さく切った豆腐を載せ、ノリで巻いていました。 

 でも、人気は出ませんでした。

 

 

 20)小学2年生の女の子に英語を教えている。

 私は、ABCを教えることなく、初めから英単語を教えた。

 発音なんか気にせず、いくつかの英単語を正確に書けるようになってもらった。 

 彼女は、発音や、大文字、小文字の違いも気にせず、曜日や月の名前は、もちろんのこと、

 身近なものの英単語を自由に書けるようになってきている。

 彼女は、英語に操られることなく、操っている。

 

 

 21)ある70歳を過ぎた男性は、「赤い車」の「赤い」は、形容詞だと理解してくれたが、

「この車は赤いです。」の「赤いです。」が、形容詞であることが分かってもらえなかった。

 形容詞には、限定用法と叙述用法のあることをが、彼は認めようとはしなかった。

 年下の生徒になら、「これが形容詞の叙述用法だ!」と強く言えるのに、、、。

 

 

22)「自転車屋」と言う言葉は、昭和時代の産物かも知れない。

 お世話になった自転車屋さんの主人も、他界されている。

 彼は若い頃、丁稚として自転車屋で修行して技術を身につけ自分の店を営まれていた。

 販売よりも修理を中心に店を営まれていた。

 いつの頃からか、安価の使い捨て自転車が出回るようになり、修理に来る人も少なくなり、

 彼の店も無くなってしまった。

 

 

 23)10年程前、「お見合いしませんか? 良いご縁を紹介します。」と言う電話があった。

 私には三人の娘がいるが、彼女たちはすでに結婚していた。

 一体、何処からどんなルートで来たのだろう?「オレ、オレ」詐欺のよりましだったかな?

 

 

 24)いろんなことをしながら、BGMとして音楽を聴く時、演奏者に失礼な気がする。

 彼らがその演奏を奏でるまでの苦労や時間を考えれば、ただ聞き流していいのだろうか? 

 何処に行っても, BGMが流れてくる。

 

 

25) 入院することになり、私は病院の食事を楽しみにした。「精進料理」に似たものがでる。

「精進料理」は、粗食を求めて、精神修行をするらしい。

 テレビのグルメレポートなんか、クソ食らえ!

 

 

 

 26100万円を超えているすごく長いレンズを付けて、鳥の写真を撮っている紳士がいた。

 「よくあんな高価なレンズを使っているな」と思い、「すごいですね!」と私は声をかけた。

 「いや、たいしたことはありません。」

  そう言いながら、何枚も彼の撮った写真を解説しながら見せてくれた。

 

 

 27)「一目惚れ」なんてありえない。

  その時、その場で、心ひかれる人に出会っても、その審美眼は行き当たりばったりじゃない。

  その人が今まで歩んできた経験から来ているからだ。

 

 

  28)予備校に人気数学講師がいた。彼はいろんな生徒の質問に即座に答えていた。

 「先生、そんなに数学出来るのすごいですね。」と私が言った。

 「いいえ、受験の数学なんて暗記以外何でもないですよ。」と微笑み返してくれた。

 

 

 29)占い師として成功する人は、人の未来を推測できる能力を持っていることは当たり前だが、

 他に客に自分を納得させ、客の自尊心をくすぐれる技術を習得することも必要だろう。

 

 

 30)囲碁や将棋の対局で、あんなに長い時間座っていられるものだなと感服する。

 勝負の駆け引きや、いろいろな努力も凄いと思うが、長時間の正坐に感服します。

 

 

 31)自分の声に驚かれたことありますか?

 私はかつて草刈りをしていた時、足元が冷たい気がしたが気にせず続けていた。

 家に帰って着替えようとした時、ズボンから、私のすねに巻き付いていた黒いヘビが出てきた。

 「ウヲー!!」 ヘビ以上に自分の声に驚いた。

 

 

 32)コンビニの店員さんたちの応対に私たちが慣れるのは、AIに慣れていく訓練かもしれない。

 それにしても、店員さんも、あれ程まで個性を隠し、AIを真似られる能力もすごいな!

 

 

33)自転車に夢中な時、カメラコーナーの高価なカメラやレンズはただの贅沢品でしかない。

 カメラに夢中な時、高級なギターなど何の価値も無くて装飾品にしか見えない。

 ギターに夢中な時、自転車など走ればどれも同じものに見えてくる。

 

 

 34)ネットで買い物をしない。

 物を買った後、「ありがとうございました。」の一言が聞きたい。

 これがなければ、買い物じゃない。

 

 

 35)手紙の最後に「自愛ください。」と書かれてあった。「自愛」とは好きな言葉だ。

 「君のために」とか「君を思って」と言う言葉は好きではない。

 「自愛」出来る人は、信頼できる。「慈愛」も素晴らしい。

 

 

 36)何年か振りに、私が最初に車を購入したセールスマン氏に出会った。

 彼は当時A社にいたが、今はB社にいる。車のセールスが保険のセールスになっておらず、

 プロ野球選手が、チームを移籍するようなもので、サッカー選手になっていないようなものだ。

   

37)日曜日の朝、草刈の音が聞こえてきた。その音で起こされた。

 もう少し眠っていたかったのに。

 自分も草刈りをしなければいけないという焦りの気持ちが、呼び起こされた。

 雨だったらよかったのに。

 

38)「せんどう」と聞いて、どんな漢字を連想しますか?「船頭」「先導」「扇動」ですよね。

 この三つの言葉も、それぞれの人の状況や立場や状況によって、使う頻度も違ってきますよね。

 

 

 39)「あなたの声を聞かせてください。」と書いてある箱が、

 コンサートホールに置かれてあれ ば、「アア、」と声を整えて、発声練習して、

 自分の気にいった歌を歌い出す人がいるかもしれない。

 

 

 40)病院に行って、陽気に振る舞おうとすると無理が生じる。

 気分がすぐれないのに、まわりに元気な奴がいたら、腹立たしく思うだろう。

 でも、陽気な気分でいなければ、病気に負けてしまう気がする。

 かと言って、周囲の雰囲気を無視する訳にもいかない。

 程度の差はあっても、どんな社会でも同じような雰囲気はあるだろう。 

 

41) 40匹の野良猫の面倒を見られている婦人に、この活動を始められたキッカケを聞いた。

彼女は幼い頃から、公園などに出掛けて休んでいると必ず野良猫がやって来たそうだ。

また、猫が一匹で歩いているとかわいそうだと思ってしまうのが、キッカケだったそうだ。

 私の娘は、「ニャー」と猫の鳴き声を真似ると何処からか、猫たちの声が反応してきた。

 

 

42)ショッピングモールで昼食をとっている。ここは以前、何があったのだろうか? 

以前といっても、平安時代のことではない。このショッピングモール前は、何だったのだろう? 私は覚えていない。モール内での店舗の移り変わりすら、覚えていない。

 ただ、この地域のいろんな店が、ほとんどモールに入っていなかったことだけは覚えている。

 

 

43)メガネ「眼鏡」を英語では、glassesと言う。

コップ(glass)を2個も目にかけるのかと思えば、変な気がする。

日本語で「めがねにかなう」とは、目上の人に気に入られるという意味で、

「めがね違い」とは、見込み違いらしい。

それから、モグラは確か、「メがネー」だったよな。

 

 

44)ある生徒から、「どんな電子辞書が良いですか?」と聞かれたので、

「意味だけ調べるのなら、携帯電話で充分です。」と答えておいた。

 例文や用法をじっくり調べるのなら、書籍としての辞書を買うべきだと思う。

 辞書が立派な書物である事を再確認できた。

 

 

45)私は中学生の頃、「勉強しなさい!」「頑張りなさい!」「今が大事なのだ!」とか言いながら、やたらに課題を出す教師が好きにならなかった。

その人に教えてもらっている教科で負けていても、5教科の総合点では勝てる自信があった。

でも、今自分の生徒たちに総合点で勝てる自信は無い。

だから、「勉強しなさい!」とか「頑張りなさい!」とは言えない。

 

 

46)絵画は本当に素晴らしく凄いと思う。絵筆と絵の具だけで、心情風景を描きだすから。

写真は一瞬の心情風景を描きだすけれど、カメラやレンズの機材を使う。

かなりいろんな技術者のお世話になってる。

 

 

47)「がんばる!」と言う言葉が好きになれないのは、何故だろう? 

 義務感を感じているからだろう。好きなことをするのに「がんばる」とは言わないだろう。

「がんばる」とは、好きなことを我慢するという意味があるのかもしれない。

 

 

48)近所のおばさんとカラスにキュウリやトマトを食べられて困っていると言う話になった。

「でも、カラスだって努力しているんだよね。」と彼女は思いやりのある言葉を述べた。

私は良いことを思いついた。

 真夜中に真冬の厚手の黒いコートを着て、顔には真っ黒いカラスの仮面を被り、おばさんの畑にあるキュウリやトマトを取りに行こう!

 見つかっても、彼女は私を見逃してくれるはずだ。カラスより努力しているから。

 

 49)セレブ夫妻と話す機会があった。ふたりは私に「ゴルフをしていないのは、人生の半分を損している。私たちはいくつかのゴルフクラブの会員だから、いつでもゴルフができるので、

今度来ませんか?」と誘ってくれた。

 また「ゴルフは健康にとても良い!自然と触れ合える!」と二人でゴルフの魅力を認め合っていた。しかし、私には「猫に小判だ」人生の半分、損した気もしない。

自然は何処ででも触れ合える。まして、セレブの世界は場違いだ。

 

 

50)電車の席に座っていた。私も優先座席に座れる資格があるのに、

二人の老婆が、私のかすかに空いた所を見ながら、「あなたはお疲れでしょう。おかけなさい。」「いえ、いえ、あなたこそお座りなさい。私はまだまだ若いのです。」

どうでも良さそうな会話を始めた。

「私はあなた達より少し若いですが、若くないし疲れているので、席は譲りませんよ!」

 

 

51)最近の電車車内風景。たいていの人がマスクをして、携帯電話をいじっている。

「私は近くの人とは話しません。遠くの人や自分にとって関わりのある人としか付き合いません。

自分の世界が大切なのです。構わないでください!」そういった雰囲気を感じた。

 最近の景色だ。

 

 

52)ある夫婦が英国にガーデニングツアーに出かけられる。

私はその主人に、「いいですね。ゆっくり楽しんで来てください。」と言った。

彼は「いいわけないでしょう!人の庭を見に行くだけですよ!」と言った。

なるほど、城を見るツアーも「人の家を見に行く」だけのものなのか。

 

53)一俵の米袋には60kgの米が入っていたらしい。

60という数字は、西洋ではエンジェルナンバーとされ、物質的、経済的なものにこだわらず、

信頼や感謝の心の在り方を示す数字らしい。

 私は日本古来の「60の手習」という諺を思い出した。

 

 

54)趣味の世界では、高価な物を持てば持つほど上達出来ると思わせる情報が多い。

高価な物を手に入れて満足しても、また次の高価な物を求めていく。

 趣味を極めるのか、企業の餌食になるのか、自分でも分からなくなってしまう。

 

 

 55)ジェットコースターなどの乗り物に全く乗れない私が、

ある友人に「100回に1回ぐらい脱線するようなマシンがあってもいいよな。」と言った。

 彼は「お前がジェットコースターに乗れたら、そんなこと言えないよ!」と諭してくれた。

 冗談が冗談にならないこともある。

 

 

 

56)カレー丼、カレーうどん、カレーパン。

 私たちは当たり前に思っているが、それらを生み出した人達のアイデアや工夫、

 それと、カレーそのものが持っている何にでも合わせられる柔軟性に感心する。

 

57)孫のピアノの発表会に出かけた。彼女は小学2年生。「途中、レとシが分からなくなって、適当に弾いておいた。」と微笑みながら堂々としていた。発表会を楽しんでいた様だった。

 親たちもダメ出しをすることなく、夕食の相談を始めた。

 私は、お辞儀の仕方が上手だと褒めておいた。

 

 

58)「きょくたん」という感じを、私は「極単」と書いてしまった。「極端」なのに。

「単」であるはずない。「端」(はし)でないと、「極度」「極限」「究極」の意味が出ない。

 単純なことじゃなく、極める意味が無いといけない。

 

 

59)目標を立てて、それが自分の能力では届かないない時、

落ち込んだり不安になったりする必要はない。

 ある人の成功を見て、その人に自分のとは目標を立てることに賛成出来ない。

自分の能力を知り、目標を低くして、自分を認めるべきだ。

基準は自分でしかない。

 

 

60)「横断」とは横に断ち切ること。平行に区切ること。「縦断」は南北方向に断ち切ること。「縦」が従うこと、秩序を意味することに対し、

「横」は曲げる、妨げる、欲しいままの意で、

異なる分野、種類などを超えてつながるという意味がある。

 「横行」になると、勝手気ままに振る舞うことや、

(好ましくないことが)はびこるという意味になるらしい。

 

61) 「らっきょ」は、血行促進、疲労回復、殺菌作用などがあり、漢方薬原料の「畑の薬」だ。

 「せっきょう」は、「説教」と書き、宗教の教えを人々に説き導くことらしい。

  宗教に導かれ救われるのは良いことだが、利用されてはいけない。

 

 

62)ある結婚式のテーブルで、隣の人が私に言った。

「あなた、アルコールが苦手みたいですね。お酒をまるで薬を飲むみたいに、いっ気に飲まれてましたよ。」

 私自身、アルコールを全く受けつけられない。薬もまず飲まない。

 私はアルコール中毒者にも薬物依存症にもならない。

 

 

63)「世襲」とは、特定の地位や職業や財産などを子孫が代々受け継いで行くことだ。

最近「世襲政治」「世襲議員」等が、マスコミをかき立てている。イメージは決して良くない。

しかし、代々続いている「まんじゅう屋」も世襲制で、伝統的な文化や味を残している。

 私に世襲制的なものは無かったし、子供達に伝えてやれそうなものは何もない。

 世襲的な世界で生きてこなかった。

 

 

64)「目と鼻の先」を英語では、”a stone’s throw” という。

日本語のほうが、英語の表現より距離的に短い気がする。文化背景の違いなのだろうか?

 

65)久し振りに写真の雑誌を見た。

使い切れないような機能満載の極めて科学的なカメラが載っていた。

ボタンを押すだけで、人並み以上の写真が撮れそうだ。

 私は余計な機能のないカメラとマニュアルレンズで、人並み以下の写真を撮ってみよう。

 

 

66)数年振りに同窓会招待のハガキを受け取った。

その会に行き友人達の姿を見れば、

「お前はジジイ!」と鏡の前に立つ自分を見せつけらる気がするだろう。

 私は「老人会の慰問に行くのだ。」と自分に言い聞かせてみるが、

まわりから見れば、ただの「じいさん、ばあさんの集まり」でしかない。

 

 

67)英語で Do you have time?は、「時間がありますか?」で、

Do you have the time?は、「何時ですか?」の意味らしい。

ここにも隠し味のようなものを感じる。

 

 

68)時々、昔ながらの鉛筆を使いたくなる。手動の鉛筆削りを使い、消しゴムを横に置いて、何かを書く時の楽しさは格別だ。日頃、シャープペンしか使わないのに、、。

 

69) ”Windfall” とは、思いがけない収入という意味で、日本では、「棚からぼた餅」に近い。

「ぼた餅」は、春に作るこしあんを使った丸い餅らしい。

もし「ぼた餅」が、棚から落ちて来ても、私は食べない。ネズミがかじっているかもしれない。

得体の知れないものには近づかない。「ただより高いものはない。」

 

 

70)「昔は良かった!」と話すために旧友が集まって来る。そのための企画も多い。

昔話に花を咲かすのは美しいが、あまりに昔話ばかりに時間を使い過ぎると、残り少ない時間を無駄にする可能性だって出てくるかも知れないな。

 

 

71)暖炉は火を焚いて室内を暖める炉、ストーブのことだが、私は冬のヨーロッパの家族団欒を空想する。暖炉は機具であるのに、ゆとりや余暇を連想するのは何故だろう?

 

 

72)「扇風機」は、おしゃれな言葉だ。風をあおいで出す道具だ。

今多くの若者が、携帯用の「扇風機」を持ち歩いている。

冬になれば、「熱風機」を持ち歩くのだろうか?

 

73)蝶の数え方は、頭(とう)らしい。ライオンや象のように頭と数えるらしい。今度、幾らかの蝶々を見かけたら、「数頭の蝶々が飛んできた!」と間違わずに伝えよう。

 

 

74)昔、馴染みの文具店が近くにあった。そこの女店主は、「文房具は貧乏具です。」と冗談まじりに楽しく接客してくれていた。しかし、百円ショップが出来てから、彼女の店も無くなり、

もう何十年も彼女に会っていない。でも、百円ショップでは買えない彼女の店で買った「貧乏具」は今でも使っている。

 

 

75)sack(袋)fire(火)に「解雇する」という意味がある。

 Sackは、従業員をクビにする時、身の回りの物を袋に入れて渡したのが由来らしい。

 Fireは、従業員に落ち度があった特に使われる言葉らしい。

 日本語の「首を切る」は、人形浄瑠璃で芝居が済んで人形の首をはずすことが由来らしい。

 結果は同じでも、辞めるのと辞めさせられるのは違うよな。

 

 

76)Rat Raceということばが浮かんで来た。

ネズミは弱小で、何も考えずにやり続ける、続けさせられる、というイメージがある。

「鼠取り」「鼠講」「頭の黒い鼠」どれも晴れ晴れしないイメージだな。

 

77)妻は私に「文学や歴史に関わるもっと高尚なエッセイは書けないの?」と聞いてくれた。

無理なものは無理だ。私は高尚にも和尚にもなれない。

何処にでもいる普通のおっさんでしかありえない。

 

 

78)数年前まで、毎日参道を無料で掃除されている老人がいた。

彼は何十年も毎日掃除されていた。

決して、「~のため」とか「ボランチア」とは言わなかった。

「自分の健康のため」としか言わなかった。

 

 

79)私は、神社や寺で賽銭を入れる時、「良いことが起こりますように!」とつぶやいている。

良いことを何もしていないのに、、。小銭で良いことを買おうとしている。

「信心も欲から」とは、良く言ったものだ!

 

 

80)私は若い頃から、12時前に眠ることはなかった。一日を損した気分になったからだ。

このことをある友人に話したら、彼は「私は朝早く起きないと損した気分になります。朝5時頃の朝日は最高です。」と答えた。

 確かに早起きすると、一日が長く感じられるが、深夜にならないと、ゆっくり考える時間は取れないような気がする。

 

81)昼過ぎから大相撲が放映されていた。国技というのに、私は全く興味が無い。

従って、この時間に頑張っている力士のことなど無関心だ。

 しかし、身内の者や知り合いが力士として出ていれば、その時間の放映は貴重な時間になる。

 

 

82)「猫糞」は、拾った物を当たり前のように自分の物にするという良くない意味だが、

 インドネシアのジャコウ「猫の 糞」から出るコーヒー豆は、世界最高級のコーヒー豆らしい。「フーン」そうなのか。

 

 

83)不安や心配は、以前の成功と比べるから起こるのかも知れない。

今からスタートと思えば、不安や心配も軽減されるのかも知れない。

 

 

84)「有名」と「著名」の違いが気になった。英語で良い意味での「有名」が famousで、

悪い意味が、notoriousと使い分けているのに、日本語では区別が無い。

「著名」は、著名な科学者、著名な詩人というように使われるぐらいで、「有名」ほど頻繁に使われることはないそうだ。

 

 

85)パソコンを操作るるのに「マウス」がないと私は上手く動かせない。

 マウスはネズミの意味だが、ネズミには、「どぶネズミ」「ネズミ講」「頭の黒いネズミ」など悪いイメージが多い。でも、「ハツカネズミ」は可愛いかな。

 

 

86)Cats and Dogs は、英語で、「どしゃ降り」という意味しい。

 Cats(大雨)で、Dogs(強風)から来ているらしい。

 大雨と強風が、同時にやって来たら、そりゃ迫力あるよな!

 

 

87)「長い目で見れば」を英語では、in the long run と言うらしい。

 なんとなくin the long run には、長期的な意味合いを感じるが、[長い目]の意味がピンとこない。目は縦に長いのだろうか?それとも、横に長いのだろうか? 

横に長いのは、キツネの目だとすれば、縦に長いのは、ミッツキーマウスの目だろうか。

 

 

88)”The cat is out of the bag.” は、「秘密がばれる」と言う意味らしい。

猫を袋に入れて豚だと売ろうとしたが、猫が飛び出て来て秘密がばれたことから来ているらしい。

でも猫と豚を間違えるかな? 三味線に猫の皮を使わずに、豚の皮を使う人いるかな?

ペットショップの猫のコーナで、豚が静かに寝ていられるかな?

 

89)A rolling stone gathers no moss. の意味は、「ころがる石にこけが生えない」という諺で、

「商売変えは損あって益がない」「絶えず活動している人はいつも新鮮だ」だと説明してある。

 一体どっちなんだ? どっちでも良いなら、たいそうに構えるな!

 

 

90)A watched pot never boils. 「待つ身は長い」

 これはよく分かる。私はジャガイモの皮を剥き、鍋に水を入れ10分程沸騰させるだけでも、

待ちきれず、ジャガイモを無駄にすることがよくある。行列のできる店に並んだことはない。

 

 

91)「しばしも休まず槌(槌)打つ響き」から始まる「村の鍛冶屋」と言う唱歌を思い出した。

 今の小学生に「ムラのカジヤ」と聞いてみても、きっと分からないだろう。

「火事屋って、火をつける人?」と聞き返すだろう。放火魔と勘違いする子どもがいるだろう。

「鍛冶屋」とは、刃物や工具、農具などを製作したり修理したりする職人なのだ。

 

 

92)小学校唱歌で好きな曲に「浜辺の歌」がある。

「あした浜辺を彷徨えば、、」と歌が始まる。

あしたにどうして浜辺をさまよえるのかと意味もわからず歌わされていた。

でも今でも心に残っている。

 校歌はそれ以上に歌わされているのに覚えていない。これは不謹慎なのだろうか?

 

93)同じ事を言われても相手によって、こちらの受け取り方が違ってくるのは何故だろう。

原因は合縁奇縁かもしれない。すべての人に好かれる訳なないし、好かれようとも思わないが、

嫌われる人を少しでも少なくするため、私が好きになれない人の特徴を見つけて、

自分からその特徴を省いていこう。

 

 

94)私が野菜を育てている畑は、江戸時代から水田だったらしい。土がやたら水っぽい。

スコップで掘ると粘土のような土との格闘となる。野菜作りには適していないかもしれないが、

身内の人たちがここの土を扱っていたと思うと、土をいじるだけで誇りを感じる。

 

 

95)A drawing man will at a straw. (おぼれるものわらをもつかむ)

私はcatchingだとばかり思っていた。また、Grasp all, grasp lose. (欲張りの丸損)

grasp を理解してつかんでおこう。

 

 

96)「たんけん」という漢字には、「探検」「短剣」「単見」などがあり、

「たんげん」という漢字には、「単元」「端厳」などがある。

「単見」は、先だけの浅い見識。「端厳」は、きちんと整って威厳のあること。

 そして「断言」は、きっぱり言い切ること。すみません。これは蛇足です。

 

97)カヌーは川を上流から下流にくだることしか出来ない。上流にカヌーを持って行って、下流まで降りることを楽しむだけだ。

ある英文で、Were the river to flow upward, I would never break my promise. (たとえ川が下流から上流に流れたとしても、私は約束を破らないだろう。)を見つけた。

 私は約束を約束できないが、カヌーを下から上へ持ち上げることだけはしないだろう。

 

 

98)幼い頃、アマチュア無線に憧れることがあった。

自分の家を放送局にして、いろんな所に電波を送り、自分の世界を広めるという夢を見ていた。

でも、それには電波を出すための資格が必要だった。

それが今なら、携帯電話がその代役、それ以上のことをしてくれる。しかも、何の資格も無しに。

 

 

 

99)フリーマーケットは、flee (逃げる)マーケットでも free (無料の)マーケットでもなく、flea (ノミ)のマーケットだ。

言葉の由来は、ノミがでるような古物を売っていることから来ているらしい。

昔、フランス人の友人が、「入れ歯も売っている」と言っていた。

 

 

100)受験英語から、英語を好きになりそれなりの道に進むのも良いし、

単なる受験手段として勉強するのも良いだろう。生徒各自が決めれば良い。

私は彼らの希望に手を差し伸べるしかできない。いつでも主役は生徒個人だから。

 

101)生徒がいてくれるおかげで先生でいられる。

子どもたちがいてくれるおかげで親でいられる。妻がいてくれるおかげで夫でいられる。

自分の役割があるのは嬉しい。

 

 

102)ハープの音が好きだが、この楽器を見る機会はほとんどない。

 数年前、ある音大の学生に、ハープの弾ける人に会いたいと言ったら、

 彼女は「私の先生の友人がハープ奏者で、今月有名な演歌歌手の伴奏に出ている。」と言った。

 演歌や演歌歌手をどうのこうの言うわけではないが、どこか不協和音を感じた。

 

 

103)循環バスに乗った。ドライバーの名前が「正美」と書いてあった。

「女性がこんな大きなバスを運転できるのか!たいしたものだ!」と私は感心していた。

 降りる時、料金を払うとき、「正美」は女性でないことが分かった。

 ドライバーは、ハゲ頭の小太りの人の良さそうな熊さんのような中年男性だった。

 私の思い込みは、偏見から来ていた。

 

 

104)今日ジャンクレンズを買った。有名なカメラ店で買った。今から30年以上も前のレンズで、カビも少し生えている。カビはカメラに移るかもしれないから、気をつけるように、そしてそれを承知で買ってくださいと店員さんに言われた。

 そして、私のカメラも20年以上前の修理の効かない代物だ。カメラもレンズも流行や売れ筋からはずれた過去の遺物かもしれないが、それらにしか出来ない表現もあるはずだ。

 

105)日本語でスープは、「飲む」だが、英語では「食べる」と言う。

 およそ50年程前、インターネットが普及していない時代に、私はスイスのある日本食レストランに入った。そこで「カツ丼」を注文した。最初に「味噌汁」が出てきた。

「飲む」のか「食べる」分からない「味噌汁」を片付けない限り、「カツ丼」は出て来なかった。

 食後に「コーヒーにしますか、紅茶にしますか、それとも日本茶にしますか?」と聞かれた。

 

 

106)a mechanical pencil が、シャープペンシル、a stapler が、ホッチキス、と知っていても、

 JR が、国鉄, だったこと知っていましたか?

 

 

107)He is beside himself with rage. (彼は怒りに我を忘れている)

 be beside oneself とは、「自分が自分のそばにいる」という意味ならば、

客観的にいられることだろう。

 怒りが起こっても、客観的で冷静にいられることって、素晴らしいよな。

 

 

108)「缶コーヒーは、一体、全体、何種類あるのだろう?」

 日々新しいものが出て来ているみたいだ。「無数」という答えで十分だ。

 このいい加減で、探究しない心構えが、私の心の有様かもしれない。

 「気にはなるのだが、どうでもいいや。」と思ってしまう。

 

109)若者と話すとき、私がその年、何をしていて、どんな事を考えていたのか思い出して、

彼らと話し合いたいと願っている。

 時代や状況が変わっていても、その時の自分が相手に受け入れられるように努めている。

 

 

110)「夏と冬、どちらが好きですか?」と尋ねられたら、「冬です!」と即答する。

 今暑いから言っているのではない。

 コートの襟を立ててジングルベルを聴きながら街を歩くのが、カッコいいと思っていた。

 でも、この頃の暑さ、たまんないよな。早く冬にならないかな。

 

 

111)let goという表現に出会った。let's goなら分かるが、let goはおもしろい。

 英語で動詞が2語続くのは珍しい。その意味は、「手放す」「リラックスする」という意味で、

 He let go of the rope. (彼はロープを離した)

 Just let go of your past mistakes. (過去の失敗を気にするな)になるらしい。

 

 

112)息子は小学生低学年の頃から大学卒業までサッカーに関わっていた。

 その期間、私は彼の出る試合はキックオフからほとんど見てきた。

 そのおかげで、サッカーについて少しぐらい話すことはできた。

 ところが、今、サッカーに全く興味はない。

 ワールドカップが何処で開催されようと、誰がスーパースターでも、どうでもいい。

 もし息子がピアノに夢中になっていたら、ピアニストや音楽のことに詳しくなっていただろう。

 

 

113) 朝早く起きるのは苦手だ。旅行に出かけるとき以外、get upは苦手だ。

どうでも良いことだが、get upに「起きる」以外の意味を調べてみた。

 He got up in the world.(彼は世間で出世した)

 Our club is getting up a picnic.(私たちのクラブはピクニックを計画している)

 Your get-up is perfect.(君の扮装はぴったりだ)

 

 

114)Charmは 「魅力」だが、「お守り」の意味もある。でも「お守り」は、私たちを守ってくれるだろうか? 魅力的なものの前には、私たちは自分の判断は鈍ることもあるし、信じたい気持ちもあるよな。「お守り」は、魅力的なものを信じ続ける小物かも知れない。

 

 

115)ローソクは冠婚葬祭に、何故使われているのだろう? 

 ローソクの灯りは、邪気を払い、災いを避け、廻りを浄化し、

幸運を呼ぶ魔力があると信じられているのが理由かも知れない。

 深夜、人工的な明かりを消し、ローソクに火をつけるだけで、哲学者になった気がする。

 

 

116)ハチ(bee)と聞けば、殺虫剤を連想するが、ハチミツを提供してくれるのもハチである。

 それ以上に、ハチそのものがいなくなれば、我々は食糧が得られなくなる。

 我々の食糧の80%近くは、ハチの受粉(polliination)のおかげらしい。

 

117)私は、トマト、キュウリ、レタス、ナスビなどの野菜を育てながら、収穫を狙っている。

 私が畑を耕した後、小鳥が小さな虫を狙っている。

 私がいない時、カラスが野菜を狙っている。

 しかし、畑は小鳥やカラスや私から何ひとつ狙っていない。

 

 

118)大人たちが子どもたちに「夢を持ちなさい!」と言うが、夢にも、怖い夢、不吉な夢、得体の知れない夢もある。大人たちみんなが良い夢ばかり見てきたはずはないのに、、、。

 

 

119)「キツツキ」は、木をつつく鳥だが、実際見たことがない。

  「餅つき」は、正月を準備するための行事だが、最近あまり見かけない。

  「嘘つき」は、嘘を言うこと。嘘をつく人のこと。人の社会で見かけることもある。

 

 

120)高級レストランで、ウェイターに「肉の焼き加減はどうされますか?」と聞かれたら、

モダン焼きか、生姜焼きか、厚焼きか、どう答えていいのか分からないので、

「いい加減でお願いします。」と答えておこう。

   

121)私は子供の頃からサーカスが好きだった。機会があれば出かけることにしている。私の小さな町に中南米の弱小のサーカスがやって来た。そのサーカスの中で、中学生ぐらいの男の子と女の子の演技は素晴らしかった。そして、休憩時間には、ふたりがパンフレットや小物を売りに来た。

“ Where are you from? ”と私は彼女に英語で話しかけた。

「アルデンチンからです。」と流暢な日本語で答えてくれた。

「とても上手ですね。感動しました。怖くないですか?何処で練習しているのですか?」

「テントの近くで毎日練習しています。お母さんに習っています。」

「あの男の子は?」

「あの子は私の弟です。今13歳です。私は16歳です。」

「彼もお母さんから習っているの?」

「いいえ、彼はお父さんから習っています。」

 

 ふたりは学校に行かなくていいのだろか? 一家4人がサーカス中心に暮らして旅をしている。

家族の絆を技を伝えながら確かめている。子供たちが両親を尊敬しているのも羨ましかった。

親が子どもに伝えられるものあることが羨ましかった。

 

 

122)昨日近所の93歳になる老婆が他界された。彼女は私の娘の友人のお婆さんだ。

3年前、私が歩いていたら、「やあ!お久しぶり!ちょうど90になったよ!」と両手を広げて

招いてくれたことを思い出した。

 

123)犬が狼の一種で、犬も歩けば棒に当たるなら、狼なら鉄棒に当たるかな?

 猫が虎の一種で、猫を被るくらいなら、虎を被ったら迫力出るだろうか?

 人が猿の一種で、猿回しの代わりに、人回しを猿がしたらどうだろうか?

 

 

124)コーヒー豆をひいて、ゆっくりお湯を注いでコーヒーを飲む。

 万年筆をインク瓶からインクを入れて書いてみる。

 レコードをターンテーブルに乗せて、ゆっくり針を降ろして音楽を聴いてみる。

 面倒くさいこと、厄介なこと嫌いな私が、何故こんなことをしたくなるのだろう?

 

 

125)アマチュアのロックコンサートに出かけた。

お世辞にもイケメンと言えない頭の禿げた白人の青年が、エレキギターを持って現れたとき、

心が踊った。ロックミュージックの底にある文化を感じた気がした。

 

 

126)「チペックス」を見つけた。これは昔タイプライターを打って間違えた時、この小さな紙のような物を間違えた字の上に乗せて、その上からタイプするのだ。

今の「修正テープ」に似たものだ。昔使っていて、今使い物にならない物に出会うのも楽しい。

 

127)「老婆心」とは、親切すぎて不必要なまでに世話を焼きたがる気持らしい。

この言葉は、実に適切だ。「老爺心」という言葉はない。

妻は孫が来るだけでいろんな仕事を増やす。私にとってうっとうしい。

子育てもそうだったのかな。

 

 

128)今日、ある国で道路が70度になったと聞いた。

肉料理は控えて、70度でどんな料理が出来るのか調べてみた。野菜の低温蒸し、ナスと大葉の夏ランチ、アーモンドミルク抹茶ラテ、バスク風チーズケーキ、みたらし団子、などがあった。

でも、道路で料理はできないよな。

 

 

129)私はエアコンが嫌いで滅多につけない。

友人が来た時だけ、ケチと思われたくないのでつける。

 ある時、26度に設定していたのに、「やたら暖かい風が吹いてくるな、温暖化もここまで来たか!」と不思議に思い、リモコンを見てみると暖房になっていた。

友人に「ごめん!」とあやまれば、彼は「今日、自分は少し熱っぽいと思っていた。」とやさしい言葉を返してくれた。

 

 

130)私が学生時代の頃、電車の中には読み捨てられた新聞紙や雑誌が残されていた。

 ある日、ある知人が一車両を見回って来て、「チェ!しけてやがる!」と言った。

「なるほど!」と一瞬思ったが、同時に、

「しけてるのは、あんただろう!」と思った。でも口には出さなかった。

 

131)いつも利用する電車に敢えて特急券を買い、指定席に座った。

 見慣れている景色が違う風に見えれば良いと思った。少しでも旅行気分を味わってみたかった。

 いつもの駅に着いたら、日常生活に戻ってしまった。でも、途中は違っていた。

 ほんの少しだけ。

 

 

132)孫が「おじいちゃん、どんな料理作れるの?」と聞いたので、

「お好み焼きが得意だ!」と答えた。

「お好み焼き」と「たこ焼き」が思い浮かんで、

「お好み焼き」のほうが手間が掛からず簡単に思えたから。

これを料理だと言えないかも知れないので、「焼き上げてもの」をきれいな皿に乗て、

ナイフとフォークをわきに置き、トマトとキュウリとキャベツのサラダとミルクを

テーブルに並べて、孫を呼んだ。

 

 

133)compromiseは、「和解する」「妥協する」という意味はわかっていたが、

「傷つける」という意味は知らなかった。

Smoking compromises your health.(喫煙は健康を損なう)

The nuclear secret of the state were compromised by the spy.(国の核の秘密は、スパイによって危険にさらされた)

 和解と妥協は、50%対50%なんて有り得ないよな。

 

 

134)「うそも方便」これがあってこそ、世の中上手く回っているんだよな!

「お似合いですよ」「あなたなら出来ます」「期待していますよ」「首を長くして待ってます」

 明日から周りに聞こえてくる「うそも方便」を集めてみよう!

 

135)「いてて!」右足がひきつった。足がつるとはどういうことだろう?

加齢や疲労や運動不足や血行不良など多数の原因があるが、50歳を過ぎると全員これを経験するらしい。これでひとつ、同窓会に行っても共通の話題に参加出来る。

 

 

136)ショッピングモールでは、いつ行っても、何かのバーゲンセールをしている。

バーゲンは、せめて50% offを頂点にしてもらいたい。

それ以上割り引かれると、有り難さを超えて、騙されていたという腹立たしさが起こる。

私は、90% offの呼び込みを見たことがある。

 

 

137)子どもの頃、お盆には先祖の人達が帰って来ると聞かされていた。

あるお坊さんに「僕は会ったことが無い」と言った時、

「向こうから、先祖の人達がお盆にこちらを見に来るのです。」と答えてくれた。

 彼はうそをつく大人に見えなかったので、「お坊さんは、向こうに行ったのだ。でも、どのようにして帰って来たのだろう?」と不思議に思っていた。

 

 

138)英語で、ある人を他の人と比べない時、最上級に the をつけない。

He is happiest when he is playing TV games. (彼はテレビゲームをしている時が一番うれしい)

She is most beautiful in a red dress.(彼女は赤い服を着ている時が一番綺麗だ)

 自分はひとりしかいないのだから、この考えは素晴らしい。

 

 

139)私は自分なりに今の職業とは違う職業に携わっているの思っている。

 スヌーピーが自分のことをパイロットと思っているように。

 

 

140)幸運が巡ってきて、成功の糸口が開けることを「目が出る」と言うそうだが、

「目が出る」を「デメキン」という名の金魚に誤解されないように、

「芽が出る」と書くほうが良いのではなかろうか?

 

 

141)ある女子大生が、最近英会話学校に通い始めた。

この冬休みオーストリアに旅行するらしい。

この夏、スリランカに行った時、シンハラ語を学ぼうともしなかった。

シンハラ語は団子みたいな文字で、むずしそうだが、挨拶ぐらい覚えて行って欲しかった。

 

 

142)bind bound —bound について知ってますよね? 

binder は、つなぎ止める目的を持っています。

 This train is bound for Kyoto.(この列車は京都につながれている)ということですよね。

 駅には、For Kyoto になっていますが、、、。

 

143)adress(住所)以外のおもしろい表現を調べてみました。

I address a warning to an old friend of mine.(旧友に警告する)

The article addresses the issue of global warming.(その記事は地球温暖化の問題を扱う)

She addresses herself to me.(彼女は僕に話しかける)

He addressed himself to the task at hand.(彼女は抱えている問題に取り掛かった)

動詞のaddressは、発信している雰囲気があるよね。

 

 

144)wait for~は待つで、wait on~は仕えるだ。ここから a waiter, a waitress が出来たようだ。「ウェイターやウェイトレスに待たされたこと、ありませんか?」

 

 

145)He was a born doctor.(彼は生まれながらの医者だった)

 生まれながら職業が決められている人もいれば、そうでない人もいる。

 どちらにしても、生まれた後は職業は自分で決めたいですよね。自分の時間ですから。

 

 

146)fortunate(幸運な)& unfortunate(不運な)、fortunately(幸運にも)&unfortunately(不運にも)は意味通りである。

ところが、fortune (幸運)& misfortune(不運)は、fortune には幸運以外に

財産の意味があるのに、 misfortuneには、Misfortunes never come single.(弱り目にたたり目)という諺しかない。

 

147) 生後数時間の赤ん坊でも、人の顔を追いかけるという実験結果があった。

 ある女子高校生に「どんな男性に魅かれるか?」と聞けば、冗談まじりに「イケメンです。」と答えた。イケメンとは、ハンサムとは別で、女性にとって魅力的ね顔立ちのことらしい。

昔から、「人は見かけによらない」と言われてきているが、交際のきっかけは「見かけ」だろう。

 

 

148)500円の腕時計を買った。シンガポール製だが、ムーブメントは日本製らしい。

 時間を知るのには十分だ。時間を優雅にゆったり眺めるのには不十分だけれど。

 

 

149)近所の僧侶が「本物はつづく、つづければ本物になる」と説教してくれた。

「うそも100回つけば、本物になる」といろんな所で聞かされた。

良い事も悪い事も、「継続は力なり」から生まれることのたとえなのかもしれない。

 

 

 

150)8月の初め、雷が鳴った。

  どことなく恐ろしいが、少し雨が降り、風が吹き、涼しくなった。

 雷は「天雷」で、地になり響く雷を「地雷」と言うらしい。

 また「地雷」は、人や戦車が踏むと爆発する仕組みの爆弾でもある。

 

151)カヤックを練習している時、インストラクターが「顔がこわばっています。無理してでも笑ってください。」と忠告してくれた。

 実際、川でカヤックを漕いでいる時、「倒れるんじゃないか?」と漕いでいると転倒した。「今、楽しいな!」とパドルを動かしていると倒れることは少なかった。

それ以来、日常生活でも、無理してでも楽しくでも振る舞うようにしている。

 

 

152)一昨日買った500円の腕時計は、たいそう役にたつ。畑に連れて行ける。

 高級貴金属店に任せてあるローレックスやオメガを畑に連れて行けない。

 500円時計は畑仕事に付き合ってくれる。喫茶店のコーヒーいっぱい分の値段で!

 

 

153)「努力は報われる」と言われるが、報われる程度のことを考えておく必要がある。

 自分で努力したつもりだが、周囲から見れば大した成果が出ていなかったり、自分が描いていた成果を実感出来なかったりするとき、「努力が報われなかった」と思うかも知れない。

 努力に報われることを期待するより、好きなことを続けて何かを得るほうが、自然で傷つかないような気がする。

 

 

154)「師」とは、「人の手本になる人」の意味がある。

 思いつく「師」のつく用語を挙げてみよう!

 庭師、医師、教師、牧師、手品師、講師、漁師、猟師、薬剤師、看護師、宣教師、、、、

 それから、ペテン師、詐欺師、、、他にもあるかな?

 

155)They liken their boss to a monkey.(彼らは上司を猿に例える)

  They liken their emperor to a god.(彼らは皇帝を神に見立てている)

 likeは「好き」~enがつくと、widen, shortenのように動詞になる。

 先入観が無ければ、覚えやすかったかも知れない。

 

 

156)AIに車を運転させる場合、人を見つけるのに「白」を中心に、

 つまり「白人」を第一に認識するらしい。

 私たちも認識してもらえるのだろうな。

 

 

157)生徒に「平均点は何点だった?」と聞くことじたい、馬鹿げたことだ。

それぞれの生徒が、自分なりに取った点数を平均より良かったか悪かったかで判断すること自体、平凡であることを推奨しているようなものだ。

 

 

158)最初携帯電話が普及し始めた頃、こんなにたくさんの電波を使えば、

渡り鳥たち困るのじゃないかと心底心配した。彼らは何らかの弊害を感じたに違いない。

しかし、自然は彼らを見離さない。

 彼らは今まで通り長旅を続けているようだ。私たちの出す無数の電波に邪魔されず。

 

159) オレ( au lait )は、フランス語で「ミルクの中に」という意味で、

カフェオレとは、「ミルクの中のコーヒー」という意味だ。日本では「抹茶オレ」も人気がある。

 今朝私の畑で採れたトマトをミルクに入れて、俺の作った「トマトオレ」を試してみよう。

 

 

160)何もしたくない時や、何をしていいかわからない時、とにかく眠ろう!

眠ることで、自分のちっぽけな考えが消え、新しい考えが目覚めてくるはずだ。

 

 

161)OWNは、「所有する」「~自身」として知られているが、

「告白する」という意味もある。

She owned to having told a lie.(彼女はうそをついたことを白状した)

He owned that he was wrong.(彼は間違っていることを認めた)

They owned that the document to be a forgery.(彼らはその文書が偽造だと白状した)

 何故か、「身から出たサビ」という諺を思い出した。

 

 

162)どんな世界にも天才や才能豊かな人々がいる。

その世界で、彼らは難なく凡人のすることを容易に通過する。

彼らに憧れるのはいいが、真似るのは、ろくな結果を産まないだろう。

もっと自分の能力を知り、それを大事に育てていくほうが良い気がする。

 

163)「ツイート」とは、小鳥がさえずるという優しくて穏やかなイメージだったのに、

「ツイッター」という用語は、優しくて穏やかな響きは聞こえてこない。

 

 

164)友人のピアニストが言った。

「高校生のブラスバンドで、何故コンクールのことしか考えないのだろう? 練習時間を割いて、プロの演奏を聴けば、それなりのものが得られるのに。」

 そういう彼も高校生の時、ブラスバンドの部長としてコンクールの賞を目指していたはずだ。

だから、今そんなことを言うのだろう。とにかく彼は音楽で身を立てている。

 

 

165)生徒との出会いを有り難く思えるようになってきた。

生徒は親に連れられて、成績を上げるために連れてこられているとしても、

彼らとの出逢いは有り難い。

 

 

166)孫娘が地元の夏祭りにやって来る。何日も前から楽しみにしている。

大好きなお菓子もやめて、屋台のポテトやかき氷を食べるらしい。

 私たちもささやかな楽しみを自分で作り出し、その日を楽しみにすれば、

毎日楽しく生きられそうだ。

 

167) 夏の風物誌となっている花火は素晴らしい。大勢の人の心を踊らせている。

 私は子供の頃、花火の音が怖かった。暗い夏の夜空に咲く「火」の「花」だ。

 「よくこんな素晴らしいものを発明してくれたものだ!」と感謝せざるを得ない。

 

 

168)テレビを見たり、クーラーをつけたりする時に、リモコンを使う、

 我々がリモートでテレビやクーラーをコントロールしているのは分かっていても、

 得体の知れないものにリモートでコントロールされていても分からないこともある。

 

 

169)いろんな魚が生きている。深い海で生きている魚もいれば、浅い海で生きている魚もいる。

 深海に住んでいる魚が、浅い海に住むことができないように、浅い海に生きている魚が、

 深海では生きられない。私たちも自分に適した海域があるはずだ。

 そこがわかれば、楽しく生きていけるはずだ。

 

 

170)いろいろな人生論が出ている。しかし、たいして役には立たない。自分は自分でしかない。

 言語一致を求めなければ、人は誰でも哲学者。誰でも真理を述べている気がする。

 自分の哲学は自分で築くしかない。

 

171)商店街の祭りに、演歌歌手がカラオケ演奏をバックに歌っていた。

ほとんどの人は聞いていなかった。

 私の授業だって、生徒が聞いてくれなければ、あの状態になる。

聞いてくれる生徒に感謝、感謝。

 

 

172)Every dog has his day.(誰にでもいい時間はある)と訳されていたが、「誰にでも悪い時間がある」と訳されるほうが、前向きになれる気がする。

何故、dogは悪い例に使われることが多いのだろうか?

 a dead dog(何の役にも立たぬ人物)die a dog’s death(みじめな死を遂げる)

  dog eat dog(仲間争い)put on the dog(見栄をはる)a dog’s chance(わずかな見込み)

 go to the dogs(失敗する)lead a dog’s life(みじめな生活をする)

 

 

173)怒る時はどんな時だろうか? 自分の思っている自分に対する評価が、相手に受け入れられていないと自分が思う時だろう。だから、怒りたくなければ、自己評価を少し下げればいいだけのことかも知れない。

 

 

174)昼間、特に昼食後眠くなることがある。

スペインなどではイエスタといって仮眠をとる習慣があったらしい。

身体の発する命令通りに動いていれば、多少の病気は防げそうだが、

心のおもむくままに行動できれば、ストレスは無くなるだろう。

 

175)音大の先生が学生たちにコーラスを指導していた。「君たち、ここでどもってくれるか?」

「えっ?音楽で、どもるって、どう言うことなんなだろう?」私は期待していた。

「どもる」のではなくて、「ハモる」だった。ハーモニーを入れるように言っていたのだった。

 

 

176)爺さんや婆さんが、若者に混じってエアロビクスやマラソンに参加してインタビューを受けるのは、幼児がひとりでパジャマを着替えたり、お使いに行った後、

インタビューを受けるのに似ている。

 幼児は微笑ましくて可愛いが、老人は何処となく見苦しい。

 

 

177)ネックレスは、necklaceと書く。私は、necklessだと思っていた。

そんな訳ないよな。首(neck )が、無い(less)のに、飾ることなんか出来ないよな。

Laceは、ひもやレースの意味で、色んな飾りを付けるものらしい。

 

 

178)老人達の同窓会では、この世で起こったいろんな昔の思い出を語るよりも、

この世を去って時「あの世で誰に会いたいか、どんな話をしたいか」というテーマを出してみてはどうだろう?

 

179)「感情は数秒間しか続かないから、ここを越えれば怒りはおさまる。」

とある人が教えてくれた。しかし、怒りたければ怒ればいいと思う。

自分が怒る相手や組織に分かれる覚悟があれば。

 

 

180)夏のエアコンの冷房の設定温度を、私は28度にしている。生徒は25度らしい。

こんなところにも温度差が出ている。

 

 

181)架空の(imaginary)ものは、事実がなければ描けない。事実が基になっている。

架空のものを作り出すには、できるだけたくさんの事実に触れておくことが基本だろう。

 

 

182)The Great Green Wall は、アフリカのサハラ砂漠を緑にする計画で、

砂漠化を止める活動だ。テーマが大き過ぎて自分には関わりが無さそうに思えるが、

地域の緑に少しでも目を向けることが、この活動に参加することになるのかも知れない。

 

 

183)動物の幸福を考えずに動物を扱うことを(specism)、

性別を基に人の幸福を無視して扱う考え方を(sexism)、

人を人種で差別する考え方を(racism)と言うらしい。

人は昔から、いろんな名前をつけて差別を続けている。そしてされてもいる。

 

184)ファミリーレストランで、顔のないロボットが注文した料理を運んできてくれた。

セルフレジやガソリンスタンドが、当たり前になってきたように、ロボットがウェイターやウェイトレスの役割を果たすのは時間の問題だろう。良いか悪いかの問題ではなくて、時の流れだ。

 

 

185)take A to B(AをBに連れて行く)の意味だ。

I take my child to a park.は、よくわかるが、I take the train to Nara.は、自分が運転手になった気分だ。

 

 

186)若い時から、謙虚や謙遜を身に付けることに専念しなくていいと思う。

「自分が一番」と思えるのは、若者の特権かも知れない。

 謙虚:自分を偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持ちがあること。

 謙遜:へりくだること。控えめなつつましい態度で振る舞うこと。

 

 

187)「人間が人間として当然に持っている生命、自由、名誉などに関する権利」と国語辞典で「人権」を定義づけている。毎年中学生たちが、夏休みの宿題位書かされる作文のテーマだ。

生徒たちに作文を書かせるより前に、教師たちも「人権」について何か書くべきでないだろうか?宿題はそれからでも遅くない。

 

188)「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれたら、常識的なものの中から答えなければ、相手をからかったことになりかねない。「ドブ掃除です。」「ペットボトルのキャップ集めです。」「野良猫や野良犬に、ご飯を食べてもらうことです。」「粗大ゴミから使える物を集めて、再生することです。」

「趣味」の定義を見てみよう。(1)物事の味わい。(2)物事の味わいを感じる能力。

(3)専門としてではなく、楽しみとして愛好するもの。

 「趣味」の定義から、決して相手を馬鹿にしていない。

 

 

189)久しぶりに、旧友から写真付きでラインが届いた。

昨日36度もあったそうだ。彼は早朝5時から、草刈機を使わず鎌で草刈りをしたらしい。

草は雨が無くても枯れないことに感心していた。

 

 

190)古びたLPレコードを聴くように、最近あまり読んでいない哲学者の著作を読んでみよう。

飛ばし読みで良い。彼らの考え方に少しでも触れてみたい。それ以外のことは詮索しなくていい。

 

 

191)初めてのフランス語の授業で、講師がABCを教えている時、

Wを「ズブラべ」と発音するのを、前の学生が、「ヅビヅバー」と自信をもって強く発音した。

私は、Wを「ヅビヅバー」と覚えこんだ。これは刻印付の一種なのだろうか?

 

192)フランス語でジェットコースターをmontagnes russes(ロシアの山々)と訳すらしい。

私なりに、フランス人はロシアの山々を不気味に見ていたのだと、勝手な解釈をしていた。

その訳は、私には、ジェットコースターが不気味に見えるからだ。

恐怖を体感するために、何時間も待つこと自体、不気味だ。

途中で停電したらどうなるだろうと考えるだけで恐怖が降りかかる。

 

 

193)仕事も遊びも全力で取り組むまじめな人を尊敬しなければいけないのだが、

友人にはしたくない。

相手も私のような良い加減な奴とは、付き合いたくないだろう。

彼には、絶えず何かをして上昇していくオーラがある。これは私には無い。

でも、何かをしていないと落ち着かない不安病にかかっているのかも知れない。

でも、私はかかっていない、健康だ。

 

 

194)ある高校生の教科書に、

Happiness depends not so much on circumstances as on one’s way of looking at one’s lot. 

幸福は環境よりも、むしろ自分の運命の見方にかかっている)という文章があった。

 生まれた環境や条件はどうにもならないが、考え方次第で、自分の人生を築いていける。

 

 

195)They left no stone unturned.(彼らはあらゆる手段を尽くした)

ひっくり返さない石はない。石という石はすべてひっくり返す。

その表現は好きだが、現実には不可能だよね。

 

196)He enjoys a green old age.(彼は生気あふれている)

 greenとは、「未熟な」とか「青ざめた」と言うような意味で、

「世間知らず」のことをas green as grassと言うらしい。

でも、「みずみずしいニュアンスがあるから、greenが好きだ。

 

 

197)小学生2年生と1年生のふたりの女の子が遊んでいる。二人は次女の娘と長女の娘。

どんな遊びをしているのか分からないが、私の部屋にふたりの声が聞こえてくる。

次の遊びを始める前に、どちらかが必ず「いいこと考えた!」と言っていた。

 

 

198)夏の高校ダンス選手権で、

勝てると思っていたチームに負けた悔しさをある生徒が話してくれた。

「負けたという実感がない。悔しさよりもぼう然とした。」と彼女が話してくれた。

ダンスや芸術を客観的に判断できない。また若者は、結果を素直に受け入れなくて良い。

 

 

199)ある高校生のブラスバンドの発表会で、顧問の教師のソロコーナーがあった。

彼はクラリネットを演奏した。

生徒たちのコンサートに自分のコーナーをつくるのに違和感を感じた。

しかし、客席の上から見た時、彼の頭のてっぺんが禿げていた。

カッパがキュウリをくわえて歩いているように見えた。

あれはきっと、演奏ではなくて、私たちを楽しませる余興だったのだろう。

 

200)「捕らぬ狸の皮算用」とは、

「まだ手に入れていないものを当てにして計画を立てるたとえ」らしい。

ならば、今晩良い楽しい夢をはっきり見るために、メガネをかけたまま眠ろう!

 

 

201)「取るよりかばえ」とは、利益を上げようとするより、自分の今持っているものを失わないように守れと言う意味らしい。

自分は自分でしかないのだから、今の自分を喜び高めていけば良い。

決して他人と比較するものじゃない。

 

 

202)「食うた餅より心持ち」とは、ご馳走してもらったり、物をもらうことは嬉しいが、

それをしてくれた人の心持ちの方がもっと嬉しいと言う意味らしいが、

桜餅、焼き餅、ぼた餅、あべかわ餅、柏餅、葛餅、わらび餅、あん餅、きな粉餅、

私はこれくらいしか餅を思いつかないが、「心持ち」はどんな餅なのだろう?

 

 

203)It is no use crying over spilt milk. (覆水盆に帰らず)

 覆水という坊さんが、何故盆に帰らないのか?坊さんにとって忙しい時期なのに、

何故帰ってこないのか?と不思議に思っていた。

ところが、実際この英語の意味は、溢れたミルクを泣いても無駄という意味だった。

盆にならないとなかなかお坊さんの有り難みもわからない。

 

 

204)He took pains to finish the project. (彼はその計画を終えるのに骨を折った)

take painsとは、「骨を折る」という意味らしいが、骨を折ってまでしたい事、見つからない。

 

205) 台風が来ると「台風なんかに負けないでください。」忘れられない言葉を思い出す。

 私が小学2年生だった時、台風でかなりの被害を受けた。

小学校の校庭に、小型トラックが着き、私たちはノートなどの文房具をもらった。

その後、教師がひとりの女の子の手紙を紹介した。

その言葉に決して励まされることはなく、むしろ腹立たしかった。今でも腹がたつ。

文房具をもらったことに感謝していても。

 

 

206)最近マニュアルでしか使用できないオールドレンズにはまっている。

すべて20年から30年前のレンズだ。写真はマニュアルでしか撮れないのだと身体が覚えだした。

しかしながら、フィルムカメラではなく、デジタルカメラだ。

ここにも私の中途半端が現れている。でも、今の時代フィルムカメラは高価過ぎる。

 

 

207)理科系の人たちにはコンプレックスを抱いている。彼らは謎解きが好きで得意なはずだ。

それから、理路整然といろんなことを考えていく。私にはそのような回路が脳に全く無い。

すぐに答えを欲しがり、直感でしか物事を判断できないの単純回路しか備わっていない。

 

 

208)息子が小学生だった時、魚釣りに連れて行って欲しいと頼まれた。

釣りなんてしたことがなかったので、釣具店に行って店員さんに

「誰にでも出来て、必ず釣れる方法はありませんか?」と尋ねたら、彼はサビキを教えてくれた。釣竿に小さなカゴをつけただけのものだった。思いのほかよく釣れたが、次に続かなかった。

 

209)ある田舎の温泉で「黙浴」の注意書きを見た。こんな言葉、国語辞典にない。

一体、誰に何を注意しているのだろう?

風呂場ではしゃいだり騒いだりする人、私は出会ったことがない。

「沐浴」は、生まれたばかりの赤ん坊をベビーバスなどを使ってお風呂に入れること。

この時は騒ぐのではなく、やさしく語りかけるのだ。

 

 

210)妻が携帯電話を何処かに起き忘れて見つからない。今日はたまたま旅行に来ているので、不自由はないが、日常生活では携帯電話がないと不自由だ。日常生活の必需品になっている。

数世代前の夫婦なら、携帯電話など無くてもやっていけたのに、、、。

 携帯電話は自宅で見つかった。遊びに来ていた孫の帽子に隠されていた。

 

 

211)シュークリームとパイナップルは、私のお気に入りのネイミングだ。

シュークリームは、フランス語の (chou a la creme)、特にchouはフランス語でキャベツだ。

キャベツがクリームを包んでいる。

パイナップルは、英語で (pineapple) 

松の実(pine),リンゴ(apple)で、松の実をしたリンゴと言う意味らしい。

 

 

212)私は子供の頃から、虫歯が多くて、歯医者さんに世話になっていた。麻酔を使う歯の痛い治療にも慣れていた。そして、散髪屋さんも嫌いだった。同じような白衣を着ていたからだ。

 

213)齢(よはい)は、年齢で、命の持ち時間らしい。

歯に命と書いて年齢になり、令は命ずることで、「歯は命」になる。

馬の年齢を調べるとき、歯を見ると聞いたことがある。

私のように自分の歯ではなく、偽りの歯(false teeth)を持つ者の年齢はどのように調べるのだろう?

 

 

214)今日、ある目標を立てた。この「思いつき」を、1000まで書き続けることだ。

強制的なものでなく、自発的なもので続けたい。

1000に対して意味はないが、とにかく目標にする。

 

 

215)道徳を沈黙させることが、合理化の主な関心なのかも知れない。

道徳という言葉が、空々しく偽善的に聞こえるのは何故だろう?

道徳的なものを押さえつけることが、合理化を推進させるけん引きになっているのかもしれない。

 

 

216)草刈機が故障したので、農機具店の若者に来てもらった。

その機械は、妻の実家の納屋に入れてある。

彼は草に覆われた家を見て、「最近、こんな家が増えました。」と言った。

彼は悪気があって言っているのではないから、私は余計に情けなくなった。

かつてこの家には、10人の人が住んでいたが、今は誰も住んでいない。

これをきっかけに、草刈りだけはさぼらないでおこう!

誰かが住んでいると思ってもれえるように!

 

217)夫が妻の家事を手伝っている家庭は、夫婦仲の良いことが多い気がする。

すべてとは言えないが、男性が家庭の重要さを理解するのは、家事を手伝う事かもしれない。

 

 

218)「頭を冷やす」とは、「冷静になること」や「気持ちを落ち着かせる」ということらしいが、私は頭より首を冷やした方が効果的だと思う。

首に冷たいタオルを巻いておけば、クーラーなどそんなに使かわなくていい。

気分が落ち着いて冷静になれる。

 

 

219)久しぶりに妻と映画館でアクション映画をみた。

映像がおもしろかったので、コーヒーを飲むことも、ポップコーンを食べることも、トイレに行くことも忘れていた。

映画の終わるころ、トイレに行きたいことを思い出した。

 「トイレに行ってくる。」「わかった。終わったら、トイレの前で待っている。」

ふたりは誰にも聞こえないように蚊のなくような微かな声で話し合っていた。

まるで秘密情報部員になった気分だ。それから、私は出来る限り腰を低くしてその場を去った。

映画の画面に映らないように。

 

 

220)「勉強」とは「無理にでも努力して励むこと」「仕事に精を出すこと」と定義してある。

好きな事を見つければ精も出るが、無理な努力はストレスしかたまらない。

受験勉強に向いていない生徒に「がんばりなさい!」というのはやめたほうが良い。

 

221) 夏空を見上げれば、雄大な入道雲が出ていた。

入道は、大きな力持ちのお坊さんで、夏の日の強い陽射しを利用して、

地面の湿った空気を吸い上げていた。

 

 

222)郵便局では土曜日配達をしていないそうだ。

宅配便の会社ならそんなことはない。数十年前、カメラが大手量販店で販売され始めた。

カメラが電化製品に変わってしまったことを思い出した。

安さを武器にカメラは電気屋の商品になっていった。

 

 

223)火星に植民地を設置しようとする考えは、

大航海時代に文明諸国が未開諸国を植民化していこうとする発想に似ている。

昔の西洋諸国の歴史の本には、日本発見としか書かれていなかった。

西洋諸国の傲慢以外の何物でもない。火星もそのように作り変えようとするに違いない。

 

 

224)宿題を出して、して来ない生徒もいる。

彼らに怠け心もあるだろうが、取り組める能力の無い者もいる。

学校の勉強に向いていないだけで、本人が好んで怠け者になろうとか、劣等生になろとか、

考えていないはずだ。単なる向き不向きの問題に過ぎない。

出来るに越した事はないが、学校の勉強が出来るから、偉いわけでもないし、

真面目なわけでもない。

 

225)「外灯」は、建物の壁面や周辺の照明や防犯灯の類を含む。「街灯」は、道路に設置される道路灯。公共用地などの共有地を照らす。私はチャップリンの「街の灯り」を思い出した。

最後に、蛇足を、「街頭」は人通りの多い街中。「該当」は、一定の条件、資格に当てはまること。

 

 

226)テレビで「悪魔が降りて笛を吹く」という昔の映画が放映されていた。

私は「馬鹿が降りてホラを吹く」という言葉が浮かんだ。

何年か前、選挙カーから降りてきて、自分の名前と「がんばります!」だけを繰り返す男がいた。

馬鹿とは、分別のない人のことを言う。

彼は自分が政治家になれる素質や能力があると思っているのだろうか?

お世辞にもそのようなオーラは無かった。

しかし、七光のようなオーラだけは至る所に漂っていた。

 

 

227)ある女子高校生が、

「男性が自由に育児休暇を取れる社会になれば、男女共生が進むような気がします。」と言った。

男性が育休を取るようになって家庭の意味や意義を実感出来れば、そこから社会を見直せるかもしれない。

 

 

228)子供が昔使っていた机の引き出しから、「おみくじペンシルケース」を見つけた。

中には、大吉、中吉。吉、凶、などの紙切れが入っていた。

ここのおみくじは馬鹿にしているのに、神社や寺での「おみくじ」を気にするのは何故だろう?

 

229)男性が女性より理数系が出来て、地図を読めるという定説は嘘だと思う。

研究でもはっきり証明されているわけではない。

私自身、理数系はできないし、地図も読めない。アルコールも男性が強いのというのも嘘だ。

学生時代、「男のくせに飲め!」といろんなところで鍛えられたが、無理だった。

私は、男らしくない男だ。

 

 

230)ある私立中学校の宿題が多過ぎる気がした。

学校存続のためなのか、教育愛のためなのか、教師自身の趣味なのか、

私には多過ぎる感じがした。想像を超えていた。

夏休みが終わり、9月になれば、生徒たちは勉強にヘトヘトになり、飽き飽きすることだろう。

 

 

231)三日月が綺麗だった。フランスのクロワッサンを思い出した。

三日月を見つけたら、幸運で願い事をしてみるといいらしい。見つけるか、見つけないかだ。

私は見つけた。だから幸運になれる。

 

 

232)「健康を失って初めて健康のありがたさを知る」体験しないと実感しない言葉だ。

自分の身体のことなど、病気になった後に健康を考えない。

歯が痛くなるだけでも、気分がすぐれないのに。

 

233)紙の辞書をひいて言葉を調べるとき、編集してくれた人々の努力や熱意に感謝や尊敬の気持ちが湧いてくるのに、電子辞書にはその気持ちが湧かないのは、私だけだろうか?

 

 

234)男子高校生でアルバイトをしているなかで、目的は人それぞれでいいと思う。

バイクを買うため、ギターを買うためと言われたら、応援したくなるのに、洋服を買うためと言われたら、その子とは波長が合わなくなっていることが分かる。

 

 

235)POSTに「発表する」意味があるのには驚いた。

The soldier was posted as missing in action.(兵士は戦闘中、行方不明になったと発表された。)

ところで、黄色いポスト見たことありますか? 私の近所にあるのです。

 

 

236)Administer には、医師が患者に治療などを行うという意味もあるらしい。

administer mouth-to-mouth resuscitation(人工呼吸を行う)

administer drugs to the patient(患者に薬を投与する)

私の知っている管理、運営、施行に関する領域から超えている。

医者に素直に従えても、行政に素直に従えないこともあるよな。でも、従っているよな。

 

237)日が照っているのに急に雨が降ってきた。妻が、「狐の嫁入りね!」と言った。

狐って、人を騙すイメージがあるから、外面と内面の違いのたとえなのかな?

「狸の嫁入り」と言わないのは、何故だろう?

 

 

238)子供の頃、夜店の金魚すくいで、5匹金魚をもらってきた。そこに1匹黒い出目金がいた。

赤い4匹の金魚が死んでも、黒い金魚だけ残った。ほぼ3年近く生きていた。

そして5センチぐらいになったと思う。

その頃には、可愛いどころか、グロテスクと言うほうが相応しかった。

そのおかげで、私にとって、金魚は可愛いより、グロテスクなイメージが根付いてしまった。

 

 

239)アルバイトをしている女子高校生が、

「仲の良い友達が来てくれると嬉しいが、そうでもない友達が来ると気まずい。」

と話してくれた。彼女にとっての「嬉しい」「気まずい」の境界線は何だろう?

 

 

240)医者は患者を何十人のうちのひとりとして客観的に接しているが、

患者は医者を唯一の頼りにして、主観的に接している。

この事実を双方常に意識しておく必要があるのではなかろうか?

 

241)どんな店にも感じの良い店員さんもいればそうでない店員さんもいる。

彼らは同じように働いているつもりだるうが、何故周り与える印象が違うのだろうか?

私は分かりきったことを聞いて、それに答えてくれる店員さんの態度で判断する。

 

 

242)「習うより慣れろ!」Practice makes perfect.

いろんなことに慣れることによって、そのものが苦手でなくなり、自分の身につく。

だから、自分にとってふさわしいものを見つけることが、何より大切なのだろうな。

 

 

243)友人にスリランカの僧侶がいた。彼は13歳から親元を離れ、寺院で生涯を過ごす人生を送っていた。年をとるといろんな欲望も抑えられるだろうが、

若い時、かなり精神的な苦悩や葛藤を味わっただろうな。

このつらさを克服したから、スリランカの僧侶は尊敬されている。

今の時代のことはわからないが、、。

 

 

244)「十読は一写に如かず」

何度より一回写したほうが書物の内容はよく理解できるというたとえだ。

私は心から納得できる。自分の気にいった尊敬できる人物の書いた文章を写すのが、

最良の方法だと思う。

 

245)兼好法師は「徒然草」の初めの頃に、

古典を読むことでしみじみとした感動を得られることを教えてくれた。

他の偉人も同じことを言っているが、私は彼を師と思っているので、古典に触れてみよう。

 

 

246)私にはファン心理が分からない。身内でもない人に何故夢中になれるのか、分からない。

自分に何の関係もないのに、何故そんなに一喜一憂出来るのか、分からない。

 

 

247)すべてとは言わないが、最近の大学は専門学校化している気がする。

大学に行って、何か手に職をつけるのは素晴らしいことだが、

「これして何になる?」と無駄に見えるようなもの、

人があまり関心を持ちそうに無いものを見るのも、大学生活のひとつだとも思えるのだが、、。

 

 

248)信号機の色は、赤、青、黄と決まっているが、

青色でなくて緑色なのに、何故青というのだろう?

そして青の意味は、進んでも良いという意味で、決して進めという意味ではないらしい。

そして緑色を青色と表現するのは、日本古来の習慣でもあるらしい。

私は緑を青と呼ぶことに何の抵抗もない。

 

249)心臓病にかかりやすいタイプの人は、

攻撃的で短期的にいろんなことをしようとするエネルギッシュな人らしい。こういう人たちが社会で成功していく人たちかもしれない。しかし、その反対の人たちもいる。

何かを得れば何かを失う例えかも知れないが、人それぞれ、時間お使い方は、その人次第だ。

心臓病にかかるのを忘れるくらい打ち込めるのを見つけるのも素晴らしいことだ。

 

 

250)Obsessionは、強迫観念を思い出すが、

取りつかれること、いつも頭を離れないことの意味もある。

Staying young and healthy is an American obsession.

(若く健康でいることはアメリカ人の頭を離れない)

良いことを思い描き、それを頭を離れないで守ることはいいことだが、

無理なことや横しまなことを考え続けるのは、身を滅ぼしかねない。

 

 

251)お化け屋敷とジェットコースターを選べと言われたら、お化け屋敷を選ぶ。

どちらも恐怖を与えてくれるものだけど、

お化け屋敷は演劇を見に行く覚悟であれば耐えられるし、そこで見る景色も心に残るだろう。

でも、ジェットコースターは恐怖以外、何も残らない。

 

 

252)哲学者セネカが「高官や名声は、人生を犠牲にして獲得される。」と述べている。

高官や名声を得た人は、利権を得ようと努力する。

当人たちは、そんな言葉は利権を得られない人の妬みと思って鼻で笑っていることだろう。

 

253)ある観光パンフレットに「この池に有名な塔が写る景色は素晴らしい!」と書いてあった。

私なら、「この池が有名な塔を写すから、みんながその塔を見に行きたくなる!」と書くのに。

 

 

254)「宇宙という書物を読み解く」という表現を思い出した。

誰が言ったのか忘れたが、素敵な言葉だ。

同じ雲は決して無い。これが分かっているだけで、

宇宙という書物の一行を読んだことになるよな。

世界遺産を見なくても、世界遺産に認定されなくても、

自分が気に入った自然のひとコマを見つけるだけでいいんだよな。

 

 

255)「扱いにくい人は、どういう人ですか?」と私は3人の女子高校生に聞いてみた。

一人めの生徒は「間違いを指摘したら怒る人」。二人めの生徒は「自分のことしか考えない人」。

三人めの生徒は「自分で判断できない人」。それぞれ答えてくれた。

 結局、波長の合わない「扱いにくい人」と付き合わないことが、得策だ。

 

 

256)友人がもう使わなくなったと言って、50年前のカメラとレンズを送ってきてくれた。

カメラはフィルムカメラなので使えないが、早速レンズを使わせてもらった。

晴れていたのに急に雨が降ってきた。

傘など持っていなかったので、私はかなり濡れたが、その後、虹がでた。

虹に出会えるなんて、運命的なものを感じた。

 

257) カメを飼っている友人がいる。彼は25年前車道に出ていたカメを家で面倒見始めたらしい。

私が「なつきますか?」と聞けば、「水槽から出ると足元に寄ってきます。

餌のスプーンを見せれば、騒ぎ出します。」と答えてくれた。

次回彼に会ったら言おう。「鶴は千年、亀は万年。まだまだ先は長いですよ!」

 

 

258)学生時代、友人がしゃれたカフェでウェイターのバイトをしていた。彼は若いのに演歌ファンだった。それでカフェのBGMをジャズやクラッシクを勝手に演歌に変えていた。

もちろん、オーナーにこっ酷く叱られた。

雇われているという自覚が、若い頃にまだできていなかった一例だ。

 

 

259)睡眠不足の翌日は、気分がすぐれない。

しかし、夜行性の生き物にはどうすることも出来ない。

活動の場は昼間なのに、本末転倒だ。

「今晩何をしようか?」昼間にそのことを考えるだけで、一日が楽しくなる。

 

 

260)本当に知らなければいけないニュースや知りたい報道は、テレビやマスコミで伝えられず、

どうでもいい報道やニュースで時間をつぶされている。

政治家たちは、我々を何も考えさせない社会生物に育てようとしている。

マスコミは、彼らの道具となり日々活動している。

 

261)学校の勉強に興味のない生徒にその意味を説明するのはむずかしい。

でも、わかりそうな生徒なら何らかの説明はできるかもしれないが、

勉強をこなせる能力のない生徒に説明することは不可能だ。

生徒たち一人一人の向き不向きをもっと考慮に入れるべきだ。

特に学校の勉強で。これが出来るから出来ないからで、評価を避けるべきだ。

 

 

262)ある遊園地に3歳の男の子を連れてアニメキャラクターの握手会に出かけると

娘から電話があった。私は孫が喜ぶだろうと思う以上に、

キャラクターの中に入っている人たち大丈夫だろうかと心配になった。

こんなに暑いのに、あんな暑いものかぶって大丈夫だろうか?

熱中症にならないだろうか?と心配になった。子供が好きじゃないと出来ないよな。

 

 

263)ある高校生が大学を選ぶ時、「あの大学は就職がよくない。」と言った。

彼は就職のために大学を選ぼうとしていた。

そこで私が言った。「会社側にしても同じ給料を出すのなら、少しでも名前のある大学を選ぶよ。入試の時、彼らはがんばったのだからね。もし君が雇う側になったら、そう思うだろう。」

偏差値を求める会社に雇ってもらうなら、それなりの覚悟がいる。

それが嫌なら、自分で何か始めるべきだ。偏差値の関係ない世界で。

 

264)芸術分野で、プロとアマの違いは、安定した作品を作り出せるな出せないかということだ。

そして両者の境界線は、分野によってかなり違ってくる。

 

265)眼科の受付に募金箱が置いてあった。中にはたくさんの小銭が入っていた。

札はなかった。100円効果も少なく、10円硬貨、5円硬貨、1円硬貨が大半をしめていた。

毎年歳末になると、駅前にはいくつかのグループが歳末助け合い、募金を呼びかけてくる。

どのグループが本物か偽物か私には判断できない。それぞれが募金箱を持っている。

 

 

266)「ふしん」についていくつの漢字があるだろう?

(1)不信:信じないこと。信用できないこと。(2)不審:疑わしく思うこと 

(3)不振:成績、業績が振るわないこと (4)普請:土木工事または建築工事を行うこと 

(5)腐心:心を悩ますこと。

私は「腐心」とは、腐った心の意味だと思っていた。

でも、悩んでばかりいると心は腐ってくるよな。

 

 

267)楽器店にギターの弦を買いに行った。ついでに新品のギターを弾かせてもらった。

調弦をしてくれたのは、若い女性だった。彼女は音楽大学に入学してアルバイトをしている。

専攻はピアノらしい。幼い頃からピアノとともに音楽に携わってきたが、

楽器店では音楽に関われるけれど、それ以上に売り上げに関わらなければならなくなる。

 

 

268)目にゴミが入った気がして眼科に行った。

実際はゴミはなく、小さな目ばちこが出来ているらしく、

「2種の目薬で治す!」と医師は言った。

この目薬は、2種5分の間隔で一日4~5回目にさすように言われた。

「2階から目薬」じゃないだろうな?早く治して欲しい。すぐに目ばちこ取れないのか?

 

269)予備校に馬鹿な英語講師がいた。占い師でもないのに、自分はどこの大学の出す問題が分かるなどと言ってバカな生徒を集めていた。今考えると、類は類を呼ぶ、馬鹿は馬鹿を呼ぶ。

そして、あるその馬鹿な生徒の一人が聞いてきた。『その大学はどんな英文を出すのですか?」

私は即座に答えた。「26文字の組み合わせです!」

 

 

270)近所でロボットの犬を飼っている老婦人がいた。彼女は犬をネットで買った。

独り暮らしのため、話相手として飼っていると言っていた。

犬ができる機械が送られてきて、組み立てればできあがり。雄雌を決めて、名前をつけるだけ。

病気(故障)したら、病院(発売元)に送るだけ。

その子(ペットとしての犬)(ロボット)は、いろんなことに反応してくれるらしい。

 

 

271)「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」。どちらも目は心を写すという例えらしい。

相手の目を見て、その人が誠実かどうか、判断しろという教えらしい。

私がサングラスをかけるのは、目を見せず、心を隠すためではない。

孫が私に「おじいちゃんはサングラスをかければ、お父さんのように見えるけど、

ふつうのメガネは、ふつうのおじいさんに見える」と言ったことが原因なのだ。

 

 

272)知識(knowledge)と知恵(wisdom)は違う。

知識があって知恵のない人は、

利権を求める政治屋、彼らの提灯持ちのコメンテータたちかも知れない。

 

273) 大手安売りチェーン店が、私の住んでいる小都市でも競争している。

同じような没個性チェーン店が、安価を競っている。

それぞれたいした特徴が無くて、どの商品がどのチェーン店で安いかが唯一の個性かもしれない。

資本がなければそのような競技には参加できないよな。

 

 

274)図書館から好きな作家の分厚い本を借りてきた。

単行本なら、何処にでも持って行け、手軽だが、どうしても分厚い本を家で読みたかった。

電車や喫茶店で、時間つぶしに読みたくはなかった。

 尊敬できる好きな人を家に招いて、ゆっくり話を聞いてみたい気分だった。

 

 

275)昔から寝つきの悪い性分だった。修学旅行など、眠れずにいて、

眠っている友人が腹立たしかった。

いつの日からか、眠れないことを受け入れて、

「朝まで寝ないぞ!」と自分に言い聞かせることにした。

それから、眠れないことが気にならなくなり、少し眠りやすくなった気がする。

 

 

256)最近毎朝ジュースを作っている。そのためバナナは欠かせない。

バナナは健康に良いと今まで信じていたのに、

最近あるネットの記事で、バナナは健康に危険だという書いてあった。

 諸外国の人たちの中で、日本人を「バナナ」と軽蔑して呼ぶ人たちもいる。

 外は黄色いのに、中は白いという意味らしい。

 

279) 郷土の名物料理を、百貨店やスーパーマーケットが提供してくれることがあるが、

ここでの料理はカバー曲に似ている。

どんなに似ていても、オリジナル曲よりも上手くても本物じゃない。

その地に言って、その雰囲気の中でしか、本物の郷土料理は味わえない。

 

 

280)私の苗字「徳村」は、沖縄県に多いのに驚いた。

祖父母もそれ以前の人たちも、沖縄から来たことなど聞いたことなかっが、

何か関わりがあるのだろう。

ひょっとして、私がヘビ歳だから、沖縄で有名な「ジャミ線」は、蛇の皮を使っているから、

ここに関わりがあるのかもしれないかもしれない。

 

 

281)かつて64歳のご婦人が、英語を習いに来られた。彼女は夫を亡くした時、

これからひとりで生きていくために少しでも多くの友達を作るために、英会話学校に入学された。

でも文法が全くわからないので私の元に来られた。彼女に教えられたことがある。

「今さら!」ではなくて、「今から!」ということを。

 

 

282)ある友人が、「眠るときに、カーテンを閉めないようにしています。」と言った。

これによって、朝陽に起こしてもらうことになり、

目覚まし時計がいらなくなったとも言っていた。

畑仕事を始めるようになって、このことに気づいたとも言っていた。

自然の中に溶け込んでいったのかな?

 

281)散髪屋さんでうとうとしていて、

終わりがた店主が鏡を私の後頭部のうしろに当てて言った。

「これでいいですか?」

「うしろをカッパみたいに刈ってくれと言っていないぞ!」と怒りかけたが、

怒らなくってよかった。うしろが、ただはげているだけだった。

 

 

282)ショッピングモールでは、セルフレジなるものが活躍していた。

これは便利だが、ますます人がいららくなるなと思った。無人自動車もまもなく現れるだろう。

自動車は、「自分で動かす車」だと思い、レーサーは格好いいと子供心に思っていたが、

これから自動車は「自分で動く車」になっていくのだな。

 

 

283)1000円札、5000円札、10000円札、3種類の紙幣がある。

20年ごとに偽造防止のために変えられるらしい。今でも偽札作ろうという人いるのか?

 

 

284)「今だけ、金だけ、自分だけ」という政治屋が多いと、

まじめで誠実な政治家が語っていた。

今私たちは利権目当てな政治屋に政治を託している。でも原因は私たちにある。

私たちにできることは、日常生活の中で、「今だけ、金だけ、自分だけ」という考えを

「少しでも社会のため、相手のため」という考えに変えていくことかもしれない。

そこから、本物と偽物を区別していけるはずだ。

 

285)9月になってないのに、おせち料理の予約をいろんな所で行っている。

早く申し込むと割引があるとか、この商品は人気だからすぐに完売するとか、

広告はお得感を与えながら、あせる気持ちを起こさせる。

おせち調理は、家で作るのではなくて他で買うものだと信じさせる。

 

 

286)草刈りをしていて初めてカメに出会った。

数日雨が続き、この暑さのなか、雑草がはやく茂り、

何処かからカメが来ていた。でも、カメは草刈りの金属の歯に当たらなくてよかった。

私は今まで妻の植えていたバラの花や私の植えたみかんの木を刈ってしまった前科がある。

 

 

287)グルメレポーターは、料理を「おいしい」などの味覚や、「色とりどりの」視覚で表すが、

聴覚で表すことは少ない。そばは「ツルツル」、せんべいは「バリバリ」と言えても、

それ以外、上手くいい表せない。適切な形容詞や副詞は見当たらない。

 

 

288)台所の水が流れなくなったので、業者の人に来てもらった。

素人では出来なにものを、難なく短時間で片付けてくれた。

「餅は餅屋」と昔から言われているように、専門家は素人の悩む時間を救ってくれる。

 

289)人の命が終わる時、終焉(しゅうえん)と言うらしい。

私自身、「焉」という文字を使ったことがない。

この漢字は、「ここに」の意味を添える助字らしい。

つまり「ここに終わる」ということになる。日本語の奥深さを感じた。

 

 

290)観光地に指定されることは、経済的にうるおうかもしれないが、

地域の人たちがううおうかどうか、疑問が残る。

資本豊かなレジャー産業会社が、一泊何十万円もするリゾートホテルを建てて、

地域の人たちが、そこの従業員として働く。

これで地域がうるおうのだろうか?昔からの自然を破壊して。

 

 

291)ice breaker とは、もともと砕氷船の意味だが、

一般的に人々の緊張を解きほぐす言葉として使われている。

緊張を解き解せる人は、心に余裕のある人なのだろうな。

 

 

292)chemistry (化学)は, 相性。相性が合うという意味があるのはおもしろい。

There’s good chemistry between us.(私たちは気が合う)

「気が合う」友人と時を過ごしたいよな。それから、「馬が合う」とも言うよな。

 

293)商業施設の広場で、弱小のプロレス団体が無料で試合を見せていた。

私は試合を見なかったけれど、試合後、小学校に行く前の幼児をリングにあげて、

「君、カッコいいね!」と言いながら、レスラーたちが彼らと遊んでいた。

私はまたプロレスファンに戻っていた。

並の人間ではプロレスラーになれないし、鍛えておかないとレスラーの身体はつくれない。

 

 

294)ある電車の車内で、向かいの長椅子に5人の乗客が座っていた。

2人の男子高校生、中年の小太りの婦人、少しケバだった若い女性、少し知的そうな老人。

高校生たちは友達に見えるが、2人は話すことなくそれぞれ携帯を眺め、メールを打っている。

小太りの婦人は、携帯を見てニヤニヤ笑っている。

若い女性はイヤフォンをかけ、携帯から目を離さない。

老人はイヤフォンをかけ、単行本を読んでいる。

携帯電話の多様性に感服しないわけにはいかない。

 

 

 

295)catfish とは、cat(ねこ)と fish (さかな)がひとつになってナマズという意味になるのだが、

インターネットでは、自分の素性を隠し、他人に成り済まし、他人をだますという意味らしい。

 

猫は魚になれないし、魚は猫になれないのに、インターネットって不思議だよな。

 

 296)「最近イノシシが出ました!気をつけてください!」というポスターが貼ってあった。

イノシシは豚の仲間らしい。本来は臆病でおとなしいのだが、

畑の作物をとりに来るので農家の人たちが困っている。

刺激を与えると危険が増す。自然の中で野生動物との共存はむずかしい。

人間だけが生きているのではない。

 

 

297)head over heels は、「真っ逆さまに」という意味だ。

  1. He fell head over heels into the pool. (彼は真っ逆さまにプールに落ちた)
  2. I’m head over heels for her. (彼女にぞっこんです)
  3. I’m head over heels in debt. (借金で首が回らない)

「真っ逆さまに」状況が変わることもあるのかな?

 

 

 

298)コロナが続いたため、マスクに慣れた。

話すことが商売の私にとって、マスクは厄介だ。

マスクとは、仮面なので、コロナ期間中人々は仮面舞踏会に参加していたのだろうか?

 

 

299)近所の飲食店チェーン店の経営者が、中卒であることを聞いて、

大抵の人は驚くが、彼にはそれなりの才能があってのだろう。

 学歴をつけるのも一つの能力だが、それを手に入れるために失うものも多いかもしれない。

 

300)閑古鳥が泣いていそうな遊園地が、数人のツイッターのおかげで評判を呼び、

急に人気が出てきた。

経営者にとって良いことだが、近くの住人にとって必ずしも良いとは言い切れない。

ただ心配なのは、ツイッターの意見ひとつが、ひとつの社会現象を起こすことだ。

 

 

301)9月9日は(キューキュー)「救急」の日らしい。

ならば、9月6日は(クロー)「苦労」の日になるのだろうか?

日本で初めて1933年に横浜と名古屋に救急車が走ったらしい。

明治時代はふたりの人が「かご」を担いで走っていたらしい。

最近の救急車には最新の医療器具が装備されている。

10年前、妻の母親が病院に送ってもらうまでに、点滴は終わっていた。

 

 

302)20年前の雑誌を偶然見つけた。不思議なことに誰も触れておらず、全く新品だった。

でも、20年前の時代が今の時代より劣っているとは思えなかった。

広告に400万画素を自慢しているカメラが出ていた。私はそのカメラが欲しくなった。

 

 

303)アイスコーヒーや水に氷を入れて、氷がグラスに当たる音が好きだ。

氷は冷やすために入れるのだろうが、私は音を聞くために入れている。

音が冷たさを連れてくる。

 

304)自転車に乗っている時、急に小雨が降ってきた。「うっとおしい」と思うのはやめよう!

「シャワーを浴びなくていい。運動とシャワーをいっきょにしているのだ。」と思うことにした。

 

 

305)妻と畑の草を見て、二人ともなんとかしなければと思ってた。

私は機械を使った草刈り、妻は手作業の草引きを考えていた。

私はつくづく細かなことが嫌いなことがよくわかった。

引くより刈る方がずっと早いよ。

 

 

306)曇りの日は気が重い。出かけようという気になれないし家にこもっている気にもなれない。

「晴れるか雨か、はっきりしろ!」空に文句を言いたくなったちょうどその時、選挙カーが来た。

「何がしたいのだ!はっきり本音を言え!」曇り空が急にすがすがしく見えてきた。

 

 

307)ほぼ毎日ヘルメットを被り、サイクリングウエアーをきた80歳以上の男性が通り過ぎる。

常にサイクリストのスタイルで、決してママチャリ自転車には乗ってこない。

向かってくる前から見ると、立派な爺さんだが、通り過ぎる後ろ姿は、カッコいい若者だ。

彼の自転車が、馬に見えた。

 

308)自分の誕生日を私たちは疑わないけど、本当だろうか?

何年の何月何日だと言われて、信じているだけだ。

ところで、実際の数値より小さく言うことを「逆鯖」と言うらしい。

何年かを「逆サバ」よんで信じていれば、それだけ若くなれる。

 

 

309)妻が家に帰ってすぐ文句を言い始めた。

「本当に停車してたのに、一時停止を無視したといって、7000円の罰金を取られる!」

 警察官は、交通安全期間中、

何人かのドライバーを違反者として捕まえるノルマがあるのだろうか?

セールスマンのように、署内に売上表みたになものがあるのだろうか?

 

 

310)私は子供の頃、日焼けした男性はカッコいいと思っていた。

最近、日焼けは皮膚癌の原因になるといって避けられている。

でも、私は今でも日に焼けた農夫はカッコいいと思っている。

農夫が、日焼け止めクリームを塗って畑に出かけるのなんて、聞いたことない。

 

 

311)この頃、セミの鳴き声を聞かなくなった。

セミは「鳴く昆虫」として知られているが、鳴くのは雄だけらしい。

また、セミは幼虫として大半土の中で過ごし、地上では数日しか生きないらしい。

ところで、私たちは今地上なのだろうか?土の中なのだろうか?

 

312)私の電話番号は、あるタクシー会社の電話番号と間違えられる。

かけてこられるのは約90%は、御老人たちだ。

彼らは病院通いにタクシーを利用されている。

「今すぐ、病院まで来てくれる?」

「あと30分したら、病院まで行くから、今家に来てくれませんか?」といった電話が多い。

0120を私の電話番号の前につけてくれれば、私の家にはかからないのに。

 

 

313)どんなことでも人の世話をする人は、素晴らしい。

いろんな会を企画し運営していくのは、大変なことだろう。

出来上がったものを一人で気楽に参加していくのとは訳が違う。

 

 

314)携帯電話のカメラを使ってメモがわりにすること、これは便利で正確だ。

私自身、携帯電話を全面的に支持しているわけではないが、この使い方には全面的に賛成だ。

 

 

315)20代の頃、あるフランス人と奈良を歩いた。

二人はかなり歩いたので、別れ際、彼は「ひもじいね。」と言った。

「ひもじい」の意味が分からなかったが、外国人に自国の言葉の意味を聞く訳にもいかず、

「本当にひもじいね!」と答えておいた。

 

316) 雨の降った後、畑を耕した。その時数匹のミミズが出てきた。

子供の頃「お前、何だ? 何か役に立つのだ?」と思ったことがある。

でもミミズは落ち葉を食べて、畑の役にたつたくさんの肥料を出してくれているらしい。

自然の中に無駄なものなんてありえない。

 

 

317)「カエルがかえる」と言われたら、「カエルが帰る」と思う人が大半だろうが、

「カエルが返る」と思う人もいるだろう。

 

 

318)「犬をかう」と聞けば、大半の人は「犬を飼う」と思う人もいるだろうが、

「犬を買う」と思う人もいるだろう。

「買う気」はなかったけれど、バーゲンセールをしていたので、

「飼う気」になった人もいるだろう。

 

 

319)「夏と冬、どちらが好きですか?」と聞かれたら、「冬です!」と答える。

私は寒さのなかの歳末のあわただしさが好きだ。

ジングルベルの音が街に流れていたり、歳末ジャンボセール等があるだけで踊り出したくなる。

正月が来たら、また普通の生活に戻るのに、、。

 

320)インターネットで調べるよりは、聞くほうが早いと思うのは、年寄りの証拠かもしれない。

私はいろんな物の説明書はめったに読まない。使えるものだけ使えれば良い。

他のものは付録としか考えていない。だから、本質的な使い方がわからない時、電話をかける。

 

 

321)「おもてなし」とは、「おもて」が「ない」という意味で、

「うら」が「ある」という意味なのだろうか?

東京オリンピックでは、いろんな「うら」が出てきた。

「おもて」を信じていなかった私は、素直ではなかったが、正しかった。

 

 

323)古いカメラとレンズを使ってモノクロ写真を楽しんでいる。

昔を懐かしむというノスタルジックなものじゃない。

動画も連写も使わない。色彩もたいして気にならない。白色と黒色の素朴な世界に惹かれている。

最新の技術など必要ない。

 

 

323)今年は10月になってもまだあったかいらしい。

干してあったタマネギの何個かは腐っていた。

買ってきたタマネギなら捨るのに、自分が耕したタマネギは多少腐っていても、

なんとか食べてみる。

 

 

324)私の子供が中学生の頃、登校拒否の女の子が遠足や修学旅行だけは参加していたらしい。

学校を無視していない。

学校の授業に興味はないが、行事に興味があるという意思表示かもしれない。

 

 

325)私が大学生だった頃、先輩に職職先まで決まっていたのに、下宿の4年間に料理にめざめ、

コックになるために、料理の専門学校に入学した人がいた。

 当時、彼の生き方が私には違和感があったが、今ならわかる。

 

 

326)生徒たちの携帯やパソコンに対する指使いには恐れ入る。とにかく速くて正確だ。

携帯もパソコンも、彼らの身体の一部になっているように見える。

 

 

327)カッパは架空の生き物なのに、実際に生きているように思えるのは、私だけだろうか?

キツネやたぬきは、いろんなイメージで描かれているが、実物も見ることができる。

なのに、カッパは見ることが出来ない。それでいて、架空のものとは思えない。

 

 

328)三連休に孫たちと旅行に出かける計画を立てていた。

なのに、孫がインフルにかかり中止になった。

連休には何処かに出掛けなければいけないという緊迫感に襲われるのは何故だろう?

 

329) 革製品は好きになれない。

高価で長持ちするらしいが、動物の魂が残っている気がして好きになれない。

カバンであろうとコートであろうと、革製品を私は持たない。

埴輪で満足できる君主でありたい。

 

330)ひとりの中学生の女の子が聞いてきた。「先生は服を買う時、何を基準にしますか?

デザインですか?素材ですか?着心地ですか?それとも、価格ですか?」

 私は20年近く洋服屋さんに行っていない。フォーマルな服装をする機会がないからだ。

普段着は近くのスーパーで間に合わせている。だから、私の基準は価格の安さだろう。

服に関して全く審美眼が無い。

 

 

331)有名なデザイナーやカリスマ美容師は、

何故一般の人たちと違ったスタイルで現れるのだろう?

人と違うことをアピールしているのに、大衆に受けなければいけない矛盾を抱えている。

彼らのセンスについて行くことが、流行に乗ることだと、私たちを洗脳していく。

 

 

332)20歳半ばのベトナム人女性に出会った。

彼女の仕草や雰囲気は、アメリカ人そのものだった。

ベトナム戦争が終わり、彼女の祖父母がアメリカに渡り、アメリカ人になった。

彼女は幼い頃、少しだけ家でベトナム語を話していたが、

小学校に通うようになってから、全く話さなくなったらしい。

そして一度だけベトナムに行ったらしい。

 

333)母国語以外の外国語を話す人は、母国語しか話さない人より、

アルツハイマーになる確率は低いと高校生の教科書に出ていた。

 3カ国話せる人は、母国語しか話せない人よりアルツハイマーになる確率は、3分の1らしい。

 

 

334)「まわり」から出てくるいろんな意味を調べれば、

「回り合わせ」「回りくどい」「回り込む」

「回り遠い」などがあり、国語辞典に意味は乗っている。

しかし「まわりする」と言う意味は、乗っていない。

これはこの地域で、「準備する」の意味だ。 

 

 

335)緑色した柿の実は、まだ柿と認められていない。柿色になって始めて柿になる。

柿には柿色。桃には桃色。

柿と桃は、我々の想像する色に届かなければ認められないのは気の毒だ。

でも、認められる必要はない。

 

 

336)日曜日なのに、道の駅に人が少なかった。

店の前で、ホットドッグと氷を売っているライトバンが止まっていた。

女性が私に「いかがですか?」と声をかけてきた。

何も欲しくなかったが、申し訳なく思い、コーヒーの料金をちらっと見た。400円だった。

道の駅で180円、洒落たカフェで500円、コンビニで100円。味はたいして変わらない。

悪いけど、急いでいて、聞こえない振りをして、その場を去った。

 

337)「携帯鳴らしてくれる?何処に置いたかわからない。」

これは、ある意味での私たち夫婦のあいさつになってきている。これで、携帯は見つかる。

しかし、メガネはこういう訳にはいかない。

メガネも電話も我々の生活必需品なのに。

 

 

338)「梅干しが乾いたみたいな顔になってきましたよ。」小学5年生の男の子に言われた。

最新のジェットコースターや絶叫マシンの話を聞いているうちに、

私の顔から水分が抜けていったようだ。

でも、このようなアトラクションをどんな人が設計しているのだろうか?

「人に恐怖感を与えて、命は保証する」

こんな矛盾した条件を同時に実現できる人もいるのだなあ。

 

 

339)自分の畑で採れた野菜を、知らない人が買って食べてくれるのはうれしい。

本職ではないから、素人の気分で出荷できるのもうれしい。

でも、欲が出てきて、もっと本格的に取り組みたくなった。

1日の売り上げが、500円にも満たないので、

今までのように、気楽に缶コーヒーを買わなくなった。

 

 

340)音楽では12種類の音しかなく、これを音階で何種類にも増していくが、

結局12の音しかない。

なのに、数えられない程の曲ができているのは、驚異以外の何者でもない。

 

341) 「峠」という感じが好きだ。山と上と下だけで出来る漢字だ。

漢字を見ているだけでイメージが湧いてくる。

登ることよりも降りることのほうが難しいことが分かってきた。

降りることは足にすごく力がいるんだ。

 

 

342)アフォリズム(aphorism)とは、

警句とか箴言という意味で、物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。

例えば、ギリシャの医師ヒポクラテスが、「芸術は長く、人生は短し」と言ったらしい。

私は最初、アフォのリズムで、自分勝手に行動することだと思っていた。

 

 

343)選挙が近づけばいろんな車が走って来る。

前回落選した政治屋は、今回政党を変え、選挙カーから、

あくびしながら、手を振っていることだろう。

 

 

344)「せいかん」の思いつく漢字を書いてみよう。

生還(生きて戻って来ること)清閑(俗事にわずらわされることなく静かなこと)

盛観(立派で素晴らしい見もの)精悍(鋭くたくましいさま)

静観(手出しもせずにじっと見守ること)

 どれを見ても、今を見つめ直せる言葉だよね。

 

345)げんざい「現在」とげんだい「現代」の違い、わかりますか?

「現在」とは、時間の三区分の一つで、

過去と未来の境のことで、「正午現在の気温」等として使われ、

「現代」は、今の世、当世の意味で、「現代仮名使い」等のように使われる。

日本語の発音は難しい。げんざいには「原罪」もあり、げんだいには「原題」もある。

 

 

346)「けんげん」には、「権限」「建言」「顕見」がある。

権限を振り回すバカな政治屋に、我々は困ってしまうが、

言葉を建てたり、顕微鏡を通して我々の目に見えないものが現れてくるのは素晴らしいことだ。

 

 

347)「アッ!ごめんなさい。杖を忘れて来ちゃった!今から取りに行くわ!」

「魔法使いのバアさんじゃないんだから、今でなくてもいいんじゃない!」

魔法使いに怒ったのか、バアさんに怒ったのかわからないが、妻は怒って言った。

「あの杖は、膝が痛くなったとき、娘がくれたのよ!ただの杖じゃないのよ!」

そう言って片道30分の距離を車で引き返した。

 

 

348)杖は年寄りのイメージが強いが、子供にとって魔法の力が出る器具のイメージもある。

娘が幼かった頃、彼女は誕生日にもらった魔法の杖を振り回していた。

これは彼女にとって、「転ばぬ先の杖」だったのかも知れない。

 

349)幼稚園の運動会に出かけた。

数年前、ほとんど何も出来なかった幼児たちが、

りっぱに踊ったり走っつたりしている。これは親たちを心底喜ばせて誇らしく思わせる機会かもしれない。

幼児にいろんなことを教えてくれる先生方は、きっと気が長い人たちだろうな。

 

 

350)アルコールをやめさせられる薬があると聞いて驚いた。

タバコをやめされる薬もあるらしい。

どちらも度を越す人たちのためのものだろう。適度は何度なのだろう?

 

 

351)「斜に構える」とは、刀を斜めにして構えをとる。

転じて、ある事に身構える。皮肉っぽい態度をとる。と辞書に説明してあった。

草刈機を斜めに構えて草を刈れば、いっそうよく切れる。

 

 

352)あるカメラ店の店員さんが「シャッターを30000回押すと、

カメラはだめになる。」と教えてくれた。

この小型録音機は、録音、再生を2年間毎日使い続けた。このボタンが押せなくなっていた。

ご苦労さん、お疲れ様、と言いたい。

ならば、自分の身体のそれぞれの器官に「ありがとう」と言ってみたくなった。

どの部分もそれ以上動いてくれているよな

 

353)「恣意」とは、思いつくまま。気まかせな心。

私が続けている『思いつき』を表現してくれている言葉かも知れない。

「心意」「真意」「神意」「深意」でもない、「恣意」なのだ

 

 

354)「倫理」とは、人倫の道。道徳。

そして「人倫」は、人間の秩序関係。転じて、人間の実践するべき道義。「倫」は、仲間の意味。

私の高校時代、倫理の授業があった。

当時、倫理の意味がわからず、教師もわかっていなかったのだろう。

哲学者の思想紹介で終わっていたような気がする。

 

 

355)80枚の葉っぱに1個のみかんの実ができるとある農夫に聞いた。

そして1本のみかんの木が実を付けるのに3年以上かかるらしい。

スーパーで売られているみかんも過保護だったのかと思えば、ゆったりほんのりした気分になる。

 

 

356)道端の彼岸花。緑が少し黄色くなり始めたイチョウの葉っぱ。

後数日で刈り取られる黄色く変わりつつある稲たち。

赤トンボたちも飛び始めてきた。日の暮が早くなってきた。そんなに暑すぎることはない。

紅葉が真っ赤に燃えるように、柿が柿色になることを期待する。

今日は秋の日かな?

 

357)満月を見た。街では月見だんごを売っていた。

月見だんごは、豊作を感謝し願うために、

丸いだんごを満月に似せて、昔の人たちが作ったらしい。

私も幼い頃、うさぎが満月にもちをついていると信じていたよな。

今の時代なら、笑い飛ばされるような話でも、少しぐらい残しておきたいよな。

 

 

358)世界遺産にも登録されている城を訪れた。

こんな複雑な建物を誰が設計したのだろうか?設計者の才能に驚きや驚嘆の言葉さへ出ない。

年老いた係の人に、「すごいですね!」と言えば、

「はい、ありがとうございます。」と答えてくれた。

ここの城が彼の人格の一部になっていることもすごいと思った。

 

 

359)私は昔から寝付きが悪い。修学旅行などでも、いつも眠りから取り残される。

まわりの生徒たちが眠っているのに、私だけが眠れないでいる。

「眠れない」と思わず、「朝まで起きていよう!」と自分に言い聞かすようになってから、

眠れないという不安はなくなった。

 

 

360)動物が人間より優れていると思えるのは、

生の有限にしがみついていないことかも知れない。

人間は生の有限を気にするあまり余計な心配を抱えながら生きている。

そのために多額の金を使ったり、時には他人の臓器さえ自分に植え付けようとする。

 

361)デパート一階の化粧品コーナーのモデルはたいてい白人女性だ。

私の子供の頃から今も変わっていない。日本の女性の美意識は、それに育まれ真似てきた。

私の美意識も似たようなものかもしれない。

化粧とは、「化けて粧う」ことだから、黄色を白色に近づけることを身に付けることかも、、。

 

 

362)電車は何かの目的を持って乗る。

大抵の人は、目的地に出来るだけ早く着く電車を選ぶ。

特急、急行、準急、各駅停車という具合に。

でも、車窓に映る景色を楽しむなら、各駅停車に限る。これだって自転車より速いよ。

各停にしか止まらない駅には、独自の風格がある。

 

 

363)火星を植民地化しようという計画があると聞いて、

昔映画で見た「アバター」を思い出した。

ストーリーなど忘れてしまったが、あの映画は私に

西欧諸国がアジア、アフリカ、中南米などの諸国を植民地化していく過程を彷彿させた。

 

 

364)日曜日だというのに、朝早くから草刈り機の音が聞こえてきた。

「うるさい!」と思うはずなのに、自分が草刈りの楽しさを知っているので、ウキウキしてきた。

犬を飼う前は、犬が怖かったけれど、犬を飼い始めて犬が可愛く見えてきた。

飼い主の気持ちがわかるようになってきた。犬友もできた。犬のおかげで。

 

365)私達は、「降参する」と言う時、「白旗を揚げる」と言うが、

英語では、have red flags(赤旗を揚げる)と言う意味は、

「怪しい行動やまずい状況によって不吉な予感がする」気持ちを示す表現らしい。

また私達は「真っ赤なうそ」と言うが、

英語で、white liesは「たわいない罪の無いうそ」と言う意味らしい。

白と赤の意味はいろいろ違うけど、信号機の赤の意味は同じだよね。

 

 

366)あるアメリカの雑誌の記事で、

アメリカ人の体内に不必要で害になりそうな化学物質がコロナ前に83%、

コロナ後に97%注入されていると述べてあった。日本でも同じようなものかもしれない。

 用心、用心と言いながら、身体を別のもので害していく。

 人間も生き物なのだから、自分だけ生き延びようとすること、虫が良すぎるのかもしれない。

 

 

367)100歳以上生きる人、6000人のうち一人、0、02%以下らしい。

長寿の要因は、遺伝もあるだろうが、野菜を食べることと適度な運動らしい。

でも、長寿のための野菜も運動も大したことなさそうだ。200歳まで生きられないからね。

 

 

368)ある画家が話してくれた。

「感心する作品を作れても、感動する作品は誰でも作れるわけではありません。」

自分が感動しても作品に残せることは、凡人に出来ることではなさそうだ。

 

369)写真を始めたきっかけは、犬の散歩と途中に出会う農家のおばさんとの出会いだった。

犬の散歩だけではおもしろくないと思い、カメラを持ち辺りの景色を撮り始めた。

途中おばさんが、「あんた、写真趣味かい?それもよかろう!」

と言って採れたての野菜をくれた。

それ以後、散歩の帰りに撮った写真を見てもらっていた。

 

 

370)キャラクターカードの入ったお菓子が、100円程度で売られている。

その中のカードの中に、一枚4000円もするものもあるらしい。

子供の世界にも大人の悪い習性がはびこってきた。何故薄っぺらいカードが4000円もするのか?

珍しいのか、貴重なのかわからないが、誰がこれを操作しているのだろうか?

 

 

371)Happiness consists in contentment.(幸せは満足にある)と言う英語の諺がある。

幸せは自分が幸せだと思えば幸せなので、他人と比べたり、自分の幸せの基準が無いから、

自分を見失うのかも知れない。でも、人はひとりで生きていくわけにはいかないので、

比べたり比べられたりして生きなければいけない。

この諺を内面化するには、かなりの精神的な修行が必要かもしれない。

 

 

372)「商うとは、どういうことですか?」とある高校生に聞かれたので、

「商売することです。」と答えた。

私自身、「商い」は「飽きない」から来ていると思い込んでいたが、

昔、農民のあいだで、米などの収穫物を織物などと交換する商売が秋に行われたことから、

「秋なふ(あきなう)」と言う動詞が生まれ、「あきない」になったらしいです。

秋は商売の最初の季節だったんだ。

 

373) 世間にはいろいろな季節限定商品が出てくる。

最近私はジュース作りにはまり、この秋限定の「柿ジュース」を紹介したい。

作り方は簡単だ。柿をベースにバナナ、豆乳、水を入れて、ジューサーをまわすだけでできる。

マスターの私が、客の私に「柿ジュース」を勧める。これが秋限定の季節商品だ。

 

 

374)私は教え始めた頃、教えるという行為が好きで自信もあった。

いかなる生徒にも成績を伸ばす自身があったし、それが彼らにとっても幸せなことだと信じてた。

しかし、年をとって気づいた。生徒ひとりひとり、勉強に向き不向きがあることに気づいた。

成績が良いから、幸せだとは限らないことに気づいた。教えることにかなり飽きてから。

 

 

375)ある楽器店に勤めているギターのかなり上手な男性が

「所詮、ギターは木ですよ。」と言った。

何百万円もするギターも、数万円のギターも木から作られる。木の質が問題なのだ。

職人さんたちの技術やブランド名に敬意を払うべきだが、

本質を忘れなければ、ギターにも愛着が持てる。ギターは温かみのある木工品なのだ。

 

 

376)大学で学ぶべき能力を持たない学生を、大学は引き受けるべきではない。

それぞれの大学が、独自の基準で選別しているが、自己推薦だけで入学させている大学もある。

4年後、彼らのことを真剣に考えているのだろうか?

4年間の授業料だけを取り立てればいいと思っているのではないだろうな。

 

377)人の細胞は60兆個あるらしい。世界人口が65億としたら、その約1万倍の数になる。

とてつもない数の細胞が自分の身体に宿っていること、

その細胞の起源を考えれば、自分がとてつもなく神聖なものに見えてきた。

 

 

378)鴨長明が『方丈記』の中で、人々が都に集中して住むことは良くないと警告している。

だが、権力や金力を求める人が政治の中心地に集まることは当然なことだ。

そんなことに無関心な人しか、彼の意図は理解出来ないかもしれない。

 

 

379)「自分らしく生きる」という言葉が心地よく聞こえるのは、

社会が物質的に恵まれていなければならない。

この基礎がなければ、精神的な議論も生まれてこないだろう。

「自分らしく」の意味は、むずかしく定義づけられそうに無いけれど、、、。

 

 

380)昔の写真を見て、「若かった!」と懐かしみながら、

昔話をする年齢になったのを認めながら、そのころの自分に説教したいことは山ほどある。

他人には出来ないので、自分にしたくなる。でも、どうにもならないことだ。

説教をするのもされるのも嫌いだから、昔の写真を見たくない。

 

381) 小学4年生の孫が、「とりま、宿題しておく!」と言った。

「とりま」とは、「ひとまず」という意味らしい。私はトリートメントのことかと思った。

若者が作り出す言葉を理解するにも骨が折れる。

 

 

382)「臨」は、その場に居合わせる。「床」は、寝台。

「臨床」とは、医師が病人の床のそばに行って実際に診察、治療すること。

「医は忍術」という言葉を思い出した。

 

 

383)ある週刊誌で、「自分は『かんしゃく』持ちだから、

『く』をとって『かんしゃ』持ちになるようにしたい。」というようなことを誰かが言っていた。

『苦』をとって『感謝』か。すごくしゃれたことを言う人だな。

 

 

384)「人気」という文字を見れば、

たいていの人は、「にんき」と読むだろうが、「ひとけ」とも読める。

前者は、人々の受けであったり、世間の評判で、後者は、人々の居そうな様子だ。

どちらも実体がつかめそうでつかめない。

 

385) ナスやハムを切り、フライパンに油をひき、パスタを作ろうとしていた。

その時、パスタ麺がないことに気づいた。仕方ないので、ナスビの量を増やした。

仕上げにパスタのソースをふりかけた。

 小学生の頃、弁当の白いご飯だけを先に食べて、後におかずばかり食べる男の子がいた。

パスタの麺だけ先に食べたと思えばいいのだ、と納得して自前のパスタを食べた。

 

 

386)オタクとは、1980年代に使われ始めてきた言葉で、否定的な意味を帯びていた。

その後、何かに夢中になっている意味にも使われるようになってきた。

特にひとりで部屋にこもり、

マンガやゲームに熱中している人のことを言うようになってきた。

オタクの存在が認められてきた。

社交性のあることが、人の値打ちじゃないかなら。

 

 

387)かつて犬の散歩の途中、小屋から農家のおばさんが声をかけてくれ、

いろんな野菜をくれた。

「ありがとうございます。」と言うものの、

持ち帰るのが面倒で「どこでも買える」と思うこともあった。

 当時、私には彼女の苦労、やさしさ、思いやりを受け取れる心の広さがなかった。

 

 

388)選挙に行ってきた。正直言って期待していない。

誰でも大差なさそう、と言うあきらめ感が強い。

こんなにも選挙に無関心に成ったのは、自分の無知もあるが裏切りすぎてきた慣れもあろう。

平気で人前で嘘がつけるな。でも、この気質がなければ、立候補なんてできないよな。

 

389) 西洋で13、我が国で4が不吉な数字となっているが、双方とも科学的根拠はない。

どちらも迷信から来ているようだ。

いかなる統計的な数字を見せても、13と4の不吉なイメージは拭いされない。

思い込みや迷信に打ち勝つものは何なのだろうか?

 

 

390)妖精は可愛いいイメージだけれど、妖怪は多少恐ろしいイメージがある。

どちらも実際には出会えないけれど、ほとんどの人は話の中に話題に出来る。

 

 

391)私は中学生の時、ある懸賞で高価なステレオセットをもらったことがある。

だから、宝くじも当たる人もいるのは疑わないが、どうもクジを買う気にはなれない。

「上手い話には裏がある」という言葉に縛られている。でも、買わなければ当たらない。

 

 

392)来年のカレンダーにパワースポットの場所を載せたものが販売されていた。

私は宝くじ協会に提案したいことがある。

今まで当選したクジ販売場所のカレンダーを売ればどうだろう?

そこに当選者の感謝の言葉を添えて。

 

 

393)ある時、犬は人間の三倍早く年をとると聞いた。

10年以上生きている私の犬は私より年長者だと思い出し、散歩に連れて行くのではなくて、

連れて行ってもらうのだと思うようにした。

「今日はどの道を行きますか?」と聞くように心掛けた。

不思議なことに「くよくよするな!」と彼が私に囁きかけてくれる気がした。

散歩から帰って、「ありがとうございました。」と話しかけることにした。

 

 

394)「親性」という言葉を聞いた。母性や父性はよく聞くが、これはあまり聞かない。

育児は昔から母性、それを助けるのが父性というイメージがあるが、

「親性」は母親、父親がそれぞれ対等の立場で違う役割で、

子育てをする雰囲気があって良いと思う。

 

 

395)友人がウズベキスタンの人形をくれた。若い男性と女性の二つの人形だ。

しかし、立ってくれない。

壁に立て掛けなかればならない。私は友人がくれた黄色い袋に入れたまま壁に立て掛けた。

顔しか出ていないので、服装はわからない。

 

 

396)楽器とは楽しい器。一番簡単な楽器はウクレレらしい。

ウクレレも民族楽器だから、その土地独自の歴史があるよな。

高価な楽器も素晴らしいが、ドラム缶だって立派な楽器になるよな。

自分が楽しめれば、、、。

 

397) かつて人間に良い恩恵をもたらしていた神が、時代が下ると共に

人々の信仰心が失われてきた結果、「妖怪」として現れてきたという説を聞いた。

神が恩恵を与えたか罪を与えたかを思うのは、個人個人の自由だ。

でも、自分の心の中に常に無力さを抱いていることは大切なことかもしれない。

 

 

398)最近私の中で再びサイクリング熱が上昇してきた。そして気づいたこと。

若者のサイクリストが少ない。

少子化の影響かもしれないが、サイクルスポーツ車に乗っている若者をほぼ見かけない。

カッコいい高価なブランド自転車に乗って来るのは、中高年のサイクリストに限られている。

専門店以外、ドロップハンドルの自転車はほぼ売られていない。

 

 

399) 私の使用している写真印刷機はもう生産中止になっていた。

余計な機能の搭載していない機械に似たものなら、

修理費と変わらない価格で新しい機械が買えるが、

今まで世話になった機械を粗大ゴミにしたくないので、修理に出すことにした。

 

 

400)ひとりの若い会社員が言った。

「転職するまでの年齢は、少なくとも35歳までにしてほしいです。

それより年上の人は何かいえば、『前の会社では、、、』と話したがる。

前の会社と合わなかったから、ここに来たのだから、こちら側に対応する姿勢を見せて欲しい。

たとえ歳を取っていても、、。」

 

401)ケーキを買いに行った。

有名店で売っているケーキは、味もさることながら、見た目もきれいだ。

いろいろな工夫を凝らしている。1個900円近くするものもある。

それなりの値打ちもあるのだろうが、私はシュークリームでじゅうぶんだ。

食べることで、せっかくの芸術作品を壊してしまう気がして、

食べることに罪悪感さえ感じてしまう。

 

 

402)レタスを育てている時に、おんぶバッタによく食べられてしまう。

2匹のバッタがおんぶの格好でレタスを食べに来る。親子でいい雰囲気だなと思っていたが、

それは親子ではなかった。私にとって、思い込みが間違いすら認めない一例だった。

 

 

403)大人は一日に約18回笑い、子どもはそれ以上笑うらしい。

子どもの笑いの種類は少ないが、大人になると多くの種類が出てくる。

ふくみ笑い、あざ笑い、うすら笑い、あいそ笑い、にが笑い、ばか笑い。

 

404)「これがダメなら、あれをする。あれがダメなら、それをする。」は、好かれない。

これがある程度出来なければ、あれが出来る訳はない。

かと言って、自分の適性を見つけるのに、1回や2回の失敗でわからないだろう。

これも、ひとそれぞれによるのかもしれない。

 

405)精神的に落ち込んだ時、

「元気、出せよ!」「君なら出来る!」という言葉は、腹立たしい。そっとしておいて欲しい。

時がすべてを解決する。自分を助けるのは自分しかいない。状況は変わる。

でも、自分は自分だ。

 

406)あるニュースで、ドローンからの攻撃を防ぐために、

電波で防御する銃を兵士が扱う映像を見た。

大人がゲームのコントローラーを扱っているようにしか見えなかった。

兵士は戦闘服を着なくても、パジャマ姿でも敵側の人間をゲーム感覚で殺せるのかと思えた。

 

407)いっちょういっせきは、漢字で「一朝一夕」と書くらしい。

私は「一夕」を「一石」と思い込んでいた。

「胆夕(たんせき)に迫る」とは、「事態が差し迫っている」ことも知らなかった。

自分の教養のなさに気づいた一日だった。

 

408)昔あるテレビ番組で、

アフリカ人が奴隷としてアメリカに物として運ばれていた港町で、

アフリカ人の知識人が日本の数人の若者に説明していた。

その時、いかにもバカそうな若い女の子が、

「え?アフリカって、ひとつの国じゃなかったの?」と、講義している人の説明を遮った。

彼女をバカだと軽蔑している私だって、アフリカの国々についてほとんど何も分かっていない。

50歩100歩、かもしれない。

 

409)20年程前、アフリカのコンゴで東京ドームくらいの広さにいくつもの泥の穴を作り、

無数の男達が金を掘り出そうとしていた。彼らにとって、これが仕事でもあった。

金を使った高価な貴金属を高級貴金属店で買いあさっている人達に、

彼らの苦しく貧しい生活はわからないだろうし、その必要もないだろう。

金の貴金属製品に縁の無い私だから、彼らの生活の苦しさがわかる気がする。

 

410)ガンジーが、

「幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態だ。」で言っていた。

彼に言われて気付くことだが、考えるから話すので、話して行動する。

だから、何を考えるかが幸福を作り出す原点かもしれない。

 

411)同窓会に行けなかったので、次回行くつもりでいた。そして今回の写真が送られて来た。

見るからに、爺さん、婆さんの集まりでしかない。

みんな楽しかった、元気が出たとコメントしている。

何故かわからないが、急に行く気が失せた。

 

 

412)朝晩少し寒くなってきた。

自分のこと以上に、数日前に植えたレタスが無事に育つだろうかと心配になってきた。

それは、収穫出来なければ、これまでの労力が無駄になるかもしれないことへの心配だった。

 

413)自動販売機は、古代エジプトの寺院で人がコインを入れて、

神聖な水を得たことが始まりらしい。

今の日本では400万台の自販機があるらしい。

そこから神聖かどうかわからない水はもちろん、いろんなものが出てくる。

 

 

414)A.M 03:00、真夜中なのだろうか?夜明け前なのだろうか?

私はこの時間によく眼が覚める。それから、コーヒーを飲み音楽を聴くことが多い。

2時間も経てば、夜明けになるが、このまま朝を迎えれば、一日中疲れてしまうので、また眠る。

 

 

415)車を運転していて対面で知り合いに会うとき、必ずどちらかが手のひらを見せて合図する。

その時の手のひらは、グー、チョキ、パーのパーを出す。相手もパーを出す。

これでは面白くない。次回私はチョキを出そうと思ったけど、相手を立ててグーを出してみよう。

 

 

416)ナンテンの実が赤くなり、柿の実が柿色に色づく秋の夕暮れ。

杖をつきながら、かなり年配の老人がやって来る。彼は私の数少ない尊敬できる教師だった。

「先生、お久しぶりです。元気にされてましたか?」

「いや、しばらく入院しててね。医者から歩くように言われているんだ。」

それから、数十分ほど立ち話をして、「また連絡するよ。」と彼はそう言って別れた。

数ヶ月後、彼は他界した。約束を破ることなどない紳士でも、約束を守らないことがあった。

 

417)ヒマラヤ山脈には、8000メートル以上の山が14もあるらしい。富士山は、3700メートルだから、

その雄大さは計り知れない。こうした山脈に登った人たちのことは栄光として報道されても、彼らの荷物を運んだり手助けした現地のポーターとして働いた人達のことは知らされることは少ない。

 

 

418)化学反応の際に、それ自体は変化せず、

他の物質の反応速度に影響を与える物質を触媒という。

私にとって、柿は心的反応として秋を呼び起こす。

柿は私にとっての秋の触媒だ。

 

 

419)昔の時代から、どの地域を見ても、

政治家に期待するのは、かなり無理がありそうな気がする。

所詮、人間がすることだから、そして人間は状況によって人格も変わるものだから、

人を支配する立場になれば、それなりの役割を果たすようになるのだろう。

そんな政治家を選ぶのも支配される私たちだから。私たちの内面にも彼らの要素がある。

ますます自分の生活は自分で築かなければならないことに気付かさられる。

 

 

420)「風が顔に当たって冷たいから、レックウーマー持って来てくれる?」と言えば、

「え、? ネックウーマー、でしょう?」と笑いながら妻が答えた。

レックとネックを間違えた。初めから、首巻と言っておけばよかった。

 

421)また暮れが近づいている。いくつになっても、この慌ただしさが好きだ。

どことなくウキウキしてくる。何か新しいことが始まりそうな気がする。

外の寒さも気になるどころか、この寒さがこの楽しさを盛り上げてくれる。

 

 

422)小学生の頃、5時になるとチャイムが鳴った。帰宅を促す合図だった。

今朝8時にゴミ収集のトラックからメロディーが聞こえて来た。

いつもは昼頃なのに、一体どういうことなのだ?

 

 

423)ターミナル駅とは、終着駅のことだと思っていたが、

多数乗り入れがあり、乗り換えのハブとなる大きな駅らしい。

多数の乗り入れは、いろんな文化が交流する場所のように見えて、国際都市の雰囲気がある。

終点よりも交流の方が良いよな。

 

 

424)最近、変であやしくおかしいメールが携帯電話に送られてきた。

「あなたにピッタリな人が見つかりました!」

なぜこんなことが出来るのだろうか?AIの技術は、私の理解力をはるかに飛び越えている。

何十年連れ添った妻よりも、私にピッタリな人を見つけることが出来るのだろうか?

私はピッタリな人を見つけてくれとどこにも頼んでいないし、

AIは私のこと何処で知ったのだろうか?

とにかく、便利なのはわかるが、おせっかいなのは困る。

 

425)フランス語の初球を再開した。これで何回目だろう? 

中途半端な私の性格を責めるよりも、フランス語を始めた青春時代に戻れるのが嬉しい。

途中でいつも止めるのだが、初めて頃の日々だけは何故か思い出されてきて、ワクワクする。

 

 

426)昨夜テレビで頭の禿げた60歳前後のみすぼらしい男性が、

自分の息子ぐらいの男性に万引きを問い詰められていた。

万引きした商品は、餃子などの冷凍食品だった。

 年上の者が年下の者に正義を教えられているのは見苦しかった。

もしその老人が法律を作れる権力者か相手を怖がらせられるような暴力的な人物ならば、

その青年はあんなに強い態度をとれただろうか?

万引きは悪いことがが、TVで顔や名前まで報道する必要があるのだろうか?

 

 

427)高校時代にほとんど勉強もせず、面接だけで大学生になっていく生徒が、

大学に入って勉強すると言っても、大抵の人は信じないだろう。

例外もあろうが、したことのないものは、滅多にできないし、続かない。

受験勉強そのものの価値を言っているのではなく、

自分のしたことのないものを始めたり、続けるのは、かなりの体力、知力がいる。

 

 

428)好奇心を見つけることこそ、自分を見つける第一歩かもしれない。

 

429) 今日畑を耕していたら、土と同じ色をしたカマキリを見つけた。

ごげ茶色のカマキリだった。

カマキリは緑色と思い込んでいたので、かなりびっくりし衝撃を受けた。

ここにも常識だけの見解の狭さが分かる。

 

 

430)私は高い所が大嫌いだ。娘がまだ幼稚園児だった頃、ふたりで観覧車に乗った。

その日、客が少なく、一つの車に私たち二人だった。

車が上昇するにつれ、彼女のテンションが上がり、私の恐怖心はそれに正比例していた。

頂上に着いた時、彼女は「ワー!」と声を挙げ、飛び跳ねた。車がかなり揺れた。

「よその人の迷惑考えなさい!」私は怖さからかなり大声で叱りつけた。

彼女は元気を無くし、しばらく沈黙し、周りを見てから言った。

「よその人って、誰?」

 

 

431)私の田舎町に超高級なホテルが出来るらしい。一泊何十万円もするらしい。それも限定で。

私ならそんなホテルに泊まったら、一睡もしないだろう。眠れば損した気になりそうだ。

こんな貧乏人根性だから、こんなホテルに泊まれないし、ここに建てて欲しくない。

 

 

432)メールにいろんなクーポンが送られて来る。

私だけ得したと気にさせるのが手口なのは分かってる。

でも、親切心とお買い得感を考えながら、ついつい見てしまう。

それから、使わないと損した気になる。

 

433)ふたりの高校生が、休みになれば1日8時間ゲームをすると楽しそうに話してくれた。

8時間は長いように思って尋ねたら、ふたりは午前中3時間、午後3時間、夜2時間と計画的に時間を使い、夜の睡眠時間は充分とっていると答えた。

 少し違和感を感じたが、2対1なので、私は納得せざるを得なかった。

 

 

434)国会答弁をTVで見ていた。

権力を持てば人間詭弁で生きて行けるものだなとつくずく思えた。

権力を持てば、たとえ馬鹿でも悪党でもそれなりに充分話しているように見える。

しかし魂がこもっていない。目が死んでいる。時間を潰しているだけに思えた。

この時間、私は無駄に過ごした。

 

 

435)借りているマンションの鍵を掛けてもドアが開かない。

おかしいと思ったら、車の鍵をさしていた。

キーホルダーがマンションの部屋のキーと車のキーが、同じ神社で祈祷してもらったものだった。

 その神社は、百貨店がいろんな品物を扱っているように、いろんな願い事を聞いてくれる。

冠婚葬祭、交通安全、合格祈願、厄払い。次にその神社に行く時は、願いをはっきりしておこう。

今日のようにならないために。

 

 

436)犬と散歩していて驚いたことがある。

教えられてもいないのに、お腹の調子が悪い時、道端の雑草から必要な雑草を選んで食べ、

自分で回復させていたことだ。

 

437)バイオパイラシー(biopiracy)という言葉を聞いた。

生物資源の盗賊行為を指す言葉で、主に先進国が途上国の豊かな生物資源を基に、

医薬品や食品開発を通じて、多額の利益を独占する行為のことらしい。

昔はこんなことなんとも思われなかった。少し時代が良くなってきたのかもしれない。

 

 

438)人は1日に1万5千回の瞬きをするらしい。そしてその一回の時間は、 10分の3秒らしい。

1分に15回、1日に1時間15分になる。そして集中している時は、瞬きはしない。

瞬きはカメラのシャッターのようなものかもしれない。

ということは、私たちは一日いかに沢山の情景を見ていることか!

 

 

439)butter up に「おべっかを使う」と言う意味があるらしい。

バターと聞けば、トーストに塗る品物を連想するが、何故こんな意味が生まれたのだろうか?

私はおべっかを使いたくないから、これからバターではなくてマーガリンを使うことにする。

 

 

440)祖父母がかつて住んでいた家の庭にキンカンの実がなっていた。

ちょうど雨上がりだったので、キンカンに水滴が付いていた。

キンカンは皮を食べるものだから、そのまま何個か取って食べた。

自然の恵みに感謝、感謝!

 

441)AIが、いくら昔の人の声を復活させて、今風の音楽を聴かせてくれても、所詮偽物だ。

技術に感服しても、曲に感動することはない。それぞれの時代にしか生まれない作品がある。

 

 

442)高校受験前の中学3年生の女の子が、10月終わり頃から急に勉強を始めた。

今までの成績がそんなに良くなかったので、内申点がさほどつかないが、

彼女は今までと違う生活を始めた事は素晴らしい。

大抵の生徒は、「今さら!」と思いあきらめる。

内申の制度も、全て良いわけではなさそうだ。

 

 

443)スペインの諺に、「美容師が多いと、花嫁はハゲ頭になる。」と言うのがある。

カリスマ美容師たちは、これにどのような反応をするだろうか?

当時何人ものカリスマ美容師たちがテレビに出ていたよな。

彼らは今どうしているのだろうか?ひとりのハゲ頭の美容師が、

やたら語っていたことを思い出した。

 

 

444)家で採れたピーマンに小さな虫が住んでいた。

もちろん私は、虫のいる所だけを捨てて、残りは食べた。

昔、プロの昆虫写真家が、

「ボウフラの浮いている水は、安心して飲める。」と言っていた事を思い出した。

虫が住めるのは、農薬を使っていない証拠だと彼は言っていた。

 

445)30年近く前のロードバイクに乗りたくなった。

タイヤはパンクしていて、バーテープもはげていたが、

フレームは十分使えた。フレームは鉄が基本で、

アルミやカーボンのフレームは、時の流行な気がする。

鉄と人間との付き合いは、アルミやカーボンよりも長いことが物語っている。

 

 

446)何十年も前に乗っていた自転車に乗るだけで、昔が思い出せるのが不思議だ。

今乗っているロードバイクは、約30年前、都会のバイク専門店で半額近くになっていた

その自転車が気に入り、3時間かけて家まで乗って帰ってきた思い出がある。

 

 

447)正月前は何故こんなにもワクワクするのだろうか?

新生な自分を迎える気持ちでいっぱいになる。

今までの反省などしようと思わない。来年はいいことしか起こらない気分になれる。

 

 

448)一昨年から年賀状を出さないことにした。

きっかけは、友人が「今年から年賀状を出さない。」と言うハガキが来た。

それから、いろんな人から、喪中のハガキも来た。

子供の頃、年賀状が楽しみで、何枚来たかということに関心があったが、今はない。

うっとうしいと思うことさえある。

 

449)過去とは、「かつてあった」ことで、「すでにない」ことだと言うのはよく分かる。

それを繋ぐのが「今」なら、今を除けばどうなるだろう?結局、時に隙間はないのだ。

「あった」と「なくなった」をつなぐのが「いま」なのだ。

 

 

450)何故かわからないが、眠れない時、寒くなくても、

石油ストーブが部屋を暖めてくれる音を聴いていれば、眠くなってくる。

心が安らかになってくるのは何故だろう?

 

 

451)正月の屋台の店で、いろんなものを食べたくなるのは、当たり前だが不思議だ。

焼き鳥やフランクフルトなど、割高なのに食べたくなる。雰囲気に呑まれてしまう。

本当に我々は周囲の環境に左右される不安定な生き物なのかもしれない。

 

 

452)ホテルでみかんの試食を勧めている男性がいた。

7種類のみかん箱を並べ、それぞれの箱からみかん一個の破片を食べさせてくれていた。

「おいしいでしょう?」「甘いでしょう?」といちいち聞いてくる。

「これだけ試食させてのだから、どれか一箱買え!」

「みかんとポンカンの区別はつくが、みかんはみかんだ!何処ででも買える!ここで買わない!」

二人の男性の笑顔の裏に隠れたバトルが少しの間続いていた。

 

453)子供の頃、”猿まわし”のショーを見たことがある。猿を操っている人は、少しいかついおっさんだったので、猿が可哀想な気がした。

かなりきつく芸を仕込まれている気がした。

「おっさん、猿に操られて竹馬に乗ってみろ!」と心の中でヤジっていた気がする。

 しかし、今日の”猿まわし”ショーは違っていた。操り人は若い可愛い女性だった。

私は猿よりも彼女を見ていた。

いつの頃から、この仕事をする気になったのか、聞きたかった。

この日のショーは母と子のような信頼関係を感じた。

 

454)中高生は何故あれほどまで上手く携帯電話を操れるのだろうか?

本当に彼らの身体の一部分になっているようだ。

 

455)被災地のニュース報道で、政治家やレポーターはよく平気で

作業服を「いつも来ています」という風な顔をして来ていられるな。

私は月並みな慰めや励ましの言葉と同程度に腹が立つ。

 

456)江戸時代の人々は、平均1日に4時間ぐらいしか働かなかったと聞いた。じっくりと考えたりぼんやりしていることに罪悪感を感じるのも時の流れなのかな?

 

457)たまたま昔のオルゴールが見つかった。オルゴールは不思議だ。

極めて素朴なのに変に懐かしさと安らぎを与えてくれる。

 

58)私は出かける時、自転車か徒歩が多い。ただ好きなだけだ。

徒歩の時はたいていカメラを持っていく。

たいていの人は、「健康にいいですね。」と言ってくれる。

誓って言える。健康と思って歩いたり自転車に乗ったことはない。

 

 

459)昔のオルゴールが見つかった。オルゴールは不思議だ。

変に懐かしさと安らぎを与えてくれる。極めて単純なのに。

 

 

460)「00会社の〇〇です。」というセールスの電話がかかってくる。

その時私は決まって「会社なら、固定電話からかけてください。

私は携帯電話が信用できません。」と言って電話を切る。

何故、会社なのに、個人の私的な電話を使わせるのか?

 

 

461)物の売り買いは、人と人とのコミュニケーションが基本だと思うのに、

便利さに負けて自動販売機を利用することに慣れている。

 家ではインターネット販売が当たり前になってきている。

 出来るだけ自販機を使わないようにしよう。 

 インターネットは苦手だから、使えないから大丈夫。

 

462) インターネットでゲームを楽しむのに課金の制度もあるらしい。

「これはある意味「ギャンブル依存症の予備軍」になる可能性もある」

と言った人がいたが、もっともだ。

 

 

463)ゲームがいくら上手くなってもゲーム制作者にはかなわない。

たとえ下手でも、絵画や音楽の創作は自分にしか出来ない。

コンピューターに負けても、将棋やチェスのチャンピオンには、創造性や独創性を感じる。

 

 

464)かつてお金持ちは、服を注文する時、テーラーと話しながら服を仕立ていったらしい。

自分の気に入ったものを職人さんに作ってもらう世界は素晴らしいと思う。

 

 

465)誰が廃墟になるような城を建てたいと思うだろうか?

誰もが繁栄を求め城を築くはずだが、最初から建築に疑問を持ちながら参加した人もいるだろう。

 私自身、その時代に生きていたとして言えることは、

施主でも施工主でもない、一般市民で城が出来ろことだけ知らされて、

税金だけ取られているだけかもしれない。

 

 

465)社会の諸問題はいろいろある。自分がいろんなことを考えても、

それが反映される場面はかなり狭い。

まず自分を変えていくことしか影響は生まれないかもしれない。

自分に影響を与えられない自分に何が出来ようか?

 

 

466)古い街並みを歩いてみた。何処の街でもそうだが、喫茶店や料理店が目立つ。古民家ふうのカフェや伝統的和風料理店が人気がある。

 良くも悪くも時代に合わせているのだろうが、

昔から住んでいる人が少なくなっていて、そうした店の経営者は憧れから、店を出している。

 

 

467)若者に何か伝えることの出来る老人、誇れるもののある老人は、すばらしいが、

すべての人がそういう訳にいかない。

 そんな時、素直に若者から学ぶ姿勢を持てば良い。

年を取っている、たくさん生きている、それだけでひとつの事実だし、

それぞれの取り組みは、ひとそれぞれなのだから、苦手なことは、若者から学べば良いのだ。

 

 

468)「絵にも描けない」「言葉にならない」「想像も出来ない」

「数えられない」こんのような形容詞につける名詞を数えるだけで、

私たちの世界はいかに素晴らしいかが分かる。

 

469)キッチンカーでカレーを販売している男性と話した。

彼は3年前会社を退職し、車を購入し移動式のキッチンを始めた。

「自分に出来ることを試してみたい!」と笑顔で話してくれた。

カレーも自分なりに考えて作っていると言っていた。

自分を信じているからこそ言えることだし、出来ることだよな。

 

470)直感:説明や証明をもたないで、

ただちに物事の真相を心で感じとること。

この能力は先天的なものではなくて、好天的なものだろう。

いろんな経験や蓄積の産物だろう。

いろんな状況で自分がどのように行動してきたかが母体となっているのだろう。

 

471)「影ながら応援します!」と言う人はどんな応援をするのか?

光が当たったら真っ先に逃げ出すのだろうか?

 

472)ひとりの世界を持つことは大切だろう。ひとりの世界を自分なりに作り出せばいい。

手始めに「平均」と言う言葉から離れよう!

 

469)キッチンカーでカレーを販売している男性と話した。

彼は3年前会社を退職し、車を購入し移動式のキッチンを始めた。

「自分に出来ることを試してみたい!」と笑顔で話してくれた。

カレーも自分なりに考えて作っていると言っていた。

自分を信じているからこそ言えることだし、出来ることだよな。

 

470)直感:説明や証明をもたないで、ただちに物事の真相を心で感じとること。

この能力は先天的なものではなくて、好天的なものだろう。

いろんな経験や蓄積の産物だろう。

いろんな状況で自分がどのように

行動してきたかが母体となっているのだろう。

 

471)「影ながら応援します!」と言う人はどんな応援をするのか?

光が当たったら真っ先に逃げ出すのだろうか?

 

472)ひとりの世界を持つことは大切だろう。ひとりの世界を自分なりに作り出せばいい。

手始めに「平均」と言う言葉から離れよう!

 

473)木の葉のあいだから漏れてくる日の光を『木漏れ日』と言うらしい。

お日様の光が木の葉っぱから出て来る状況を表す表現らしい。

お日様が葉っぱを、葉っぱがお日様をいかに引き立てていることか。

そしてその時間がいかに限られていることか。童話が書けそうだ。

 

 

474)10数年前、亡き父が使っていた耕運機を買った店に修理を頼んだら、

「もう部品がない」と言って断られた。今日、別の店に頼んでみた。

ここは今まで一度も取引のない店だった。

なのに、ふたりの作業員が修理できると約束してくれた。

そのうれしさは、耕運機を担いでみたいくらいの嬉しさだった。

 

 

475)カメラはいつの頃から電気器具になってしまったのだろう?

携帯電話も、電話の機能よりもカメラの機能の優劣で決まる時代になっている。

ここにも専門化がなくなってきている。

 

 

476)家で育てた野菜は捨てがたい。大根などの葉っぱが少し黄色くなったでけでも気になる。

すぐに知人に電話して原因を知ろうとする。今までこんなことはなかった。

そして、今までスーパーで買った野菜なら茎など捨てていたのに、栽培した茎は捨てがたい。

 

477)) 想像力があれば時間をうまく使える。

一本の木を見ただけでも、作家なら物語を作れるし、画家なら絵画を造れる。

文才も画才もない私でも、昔から祖父母の家にある一本の松の木を見るだけで、

彼らの生きた時代を想像できる。

 

 

478)人には不安になる要素が心の中にあるようだ。

不安を煽り立てられれば、用心のために防御する。保険などもその一つだろう。

もっとタチの悪いのは、嫌悪感を不安と結びつけて私たちの感情を揺すぶる広告だ。

 

 

479)人は好きなことしか続けられない。

好きなことなら、時間を作り出せるし続けられそうだ。

その好きなことで金銭を稼げれば言うこと無いだろうが、それはそれで、たいへんだろうな。

 

 

480)『言霊』「初めに言葉ありき」。どちらも言葉の力強さを感じる。

人は言葉によって行動するし、言われた言葉に従う傾向が強い。

だから、初めに言葉を出し、それに向かえばいい。

「不言実行」はかっこいいが、「有言実行」も悪くない。自分に言い聞かせ、周りに聞いてもらうのだ。

 

481)朝、黄色い水仙を見つけた。

その花言葉は「やさしい心遣い」らしい。

午後、白髪の老夫婦が手をつないで黄色い菜の花畑を歩いていた。

菜の花の花言葉は「小さな幸せ」らしい。

黄色は、「幸せや輝きで人の心を癒やす色」かもしれない。

 

482)数年ごとにフランス語を学びたくなってまたやめる。

いつも初級止まり。根気の無さに愛想尽かし、自己嫌悪がつのる。

今回は違う。学生時代を思い出すために、フランス語を始めるのだ。

最初のフランス語の時間、wを「ヅウフラヴェ」と発音するべき所をある学生が、

「づービーづーばー!」と発音した。

これが私にとっての刻印付となった。今でも私はフランス語のwがよくわからない。

フランス語を復習しながら、学生時代に戻ろう!

 

483)メタボリック症候群があるように、知識メタボリック症候群もあるようだ。いろんなことを知っていて、聞いてもいないのにやたら知識をひけらかす人もいる。

これは頭の良さではなくて、知識量の多さが邪魔しているのだろう。

 

484)あるヨガの先生が、

「ヨガで身体を動かす前に、身体に今の状態はどうかと聞いてください。」と言っておられた。

 彼女は身体を自分が思い通りに操れないことを教えてくれていた。

 

485) 数年前、絵画を始めたくて画材を一通り買い、

最後に画家が被っているベレー帽を探したが見つからなかった。

 今日、農業を始めたくて農具を一通り買い、最後に農夫が被っている麦わら帽子を探して見つかった。明日から立派な農夫になれる。

 あの時、ベレー帽を見つけていたら、私は今頃画家になっていたかもしれない。

 

 

486)誰も住んでいない祖父母の家の草刈りに出かけた。

裏庭にキンカンの実がなっていた。

夜明け方、雨が降っていたので、洗わなくても食べることができた。

キンカンは皮を食べて中身を捨てる。これは祖父母が教えてくれた。

キンカンは自然が恵んでくれた。

 

 

487)いつも自家用車でしか見ることのないショッピングモールから

駅までの距離をバスに乗ってみた。

買い物帰りの中年女性に「この辺り、素敵な所ですね。

長くお住まいですか?この辺で行くべき場所や有名な店、教えていただけませんか?」

 彼女は少し考えた後、ガイドブック通りの答えを返してくれた。

私が質問されても、ガイドック通りの答えしか出せなかっただろう。

 

 

488)黄色は明るくてエネルキーのある色なので、いろんな商品に使われている。幸せや輝きの意味もあり注目を集める色なのに、なぜか黄色い車は数少ない。

 パトカーを黄色にしている国もあるのに、

私は思う以上に黄色い自家用車が少ないような気がする。

 白、黒、赤、青、灰色、黄色。車に関して、黄色は少ない。